馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

地名の話。「揖保」(2)

2018年06月13日 | 地名・地誌
地名の話。「揖保」(1)では粒坐天照神社に伝わる「揖保」の地名説話を紹介しました。今回は「播磨風土記」が語る「揖保」の地名説話を取り上げます。

『播磨風土記 揖保郡』
 
揖保の里 土は中の中なり。(イイボ)と稱ふ所以は、此の里、粒山(イヒボヤマ)に依る。故、山に因りて名と爲す。
粒丘(イフボヲカ)粒丘と號くる所以は、天日槍命(アマノヒボコノミコト)、韓國(カラクニ)より渡り来て、宇頭(ウヅ)の川底(カハジリ)に到りて、宿處を葦原志擧乎命(アシハラノシコヲノミコト)に乞はししく、「汝は國主たり。吾が宿らむ處を得まく欲ふ」とのりたまひき。志擧、即ち海中(ワタナカ)を許しましき。その時、客(マレビト)の神、劔を以ちて海水(ウシホ)を攪きて宿りましき。主の神、即ち客の神の盛なる行を畏みて、先に國を占めむると欲して、巡り上りて、粒丘に到りて、飡(イヒヲ)したまひき。ここに、口より粒(イヒボ)落ちき。故、粒丘(イヒボヲカ)と號く。・・・

 地名説話は大喜利の「小噺」のようなもので「成る程!アハハ・・」と場を和ましますが、肝心の地名解としては全く説明になっていないものです。
今回、そんな地名説話を取り上げるのは、そのお話の背景や登場人物などが大変重要になるからです。



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