馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

天気もいいしドライブでも。

2010年02月06日 | ドライブ・旅行
金曜日、ちょっと寒いけれど天気もいいしドライヴでもするか、と当てもなく名神高速道に乗りました。
長浜の盆梅でもと思いましたが、米原以北が雪とのことで新名神で四日市まで行きました。
北勢の鈴鹿山系は冠雪し真っ白です。

 四日市の隣町、御在所山の麓、湯の山温泉で知られる菰野町に竹成と云うところがあります。そこに五百羅漢石仏があります。大日堂境内に写真のように7mほどの築山をつくり、頂上に金剛界大日如来と四方仏を置き、その周りに如来・菩薩・羅漢をはじめとした500体ほどの石像を安置したもので、七福神や天狗、猿田彦などもあり、大小様々な石仏・石神が林立する様は壮観で、見応えがあります。三重県の文化財に登録されており、地元では有名な五百羅漢です。

 40年も前の話ですが、暑い夜でした。将に丑三つ時にこの竹成の五百羅漢に行ったことがあります。星明かりの下、乱立する石仏の合間に足場を探しながら築山を登って行きました。天辺の大日如来のあたりにチラと揺れる灯が見えたような気もしました。やっと大日如来像のある天辺に行った時「血の気も凍る」恐怖を味わいました。
大日如来像を取り囲むように乱立する石像の底に、蒲団に寝かされ虚空を見つめる子供、傍らに白装束の老婆が地面にへばり付いて、一心に大日如来を拝んでいます。地面にロウソクが立ててあったので、淡い光が下から当たると一層老婆が恐ろしく思えました。
とにかく、その時の恐怖は、心臓が痛くなると云うか「血の気が凍る」と云うか「失禁」するほどの恐ろしさでした。
よほど恐ろしかったのか、後年夢で何度か見て、怖さに跳び起きたことがあります。

 この地域では当時まだ「丑の刻詣り」の風習があったようで、僕が見たのは、不幸にして障害を持っている子供か孫の「奇跡」を信じて「丑の刻詣り」をしていたおばあさんのようです。でも、怖かった!!

 僕が夜中の2時に何故こんなところに行ったか、などと詮索するのは「野暮」と云うものです。竹成から15分ばかりのところに僕が初めて就職した養鶏場がありました。今は雑木林に戻っており、面影もありませんが所々に朽ちた境界の杭が「アァ、この辺りが成鶏舎かなァ」などと思い出を探りながら当たりを走りました。

 桑名に出て「宝暦治水」で有名な「薩摩義士」の墓所「海蔵寺」を参拝。総奉行「平田靱負」を「森繁久弥」が演じた「孤愁の岸」(杉本苑子作)の名演技を思い出しました。
桑名の「七里の渡」から揖斐川対岸の「なばなの里」や巨大な「長良川河口堰」を見て、この一帯の「治水」との格闘の歴史をおもいました。(宝暦治水や長良川河口堰のことはいずれまた当ブログで紹介することがあると思います)

 帰路、名神を「大垣」から乗るか「養老」を抜けて「関ヶ原」から乗るか思案しながら走っているうちに、雪が激しくなりだしました。
「大垣」から乗った場合、「関ヶ原」あたりから「チェーン規制」でもあれば帰れないので、養老を抜けることにしました。関ヶ原ICに入ったころは、雪も本降りで路面はシャーベット状でしたが、何とか峠を越えました。彦根に入ると夕日が綺麗に輝いていました。

 年間5万km、浪速のドライバーを自認していた僕も、この頃この程度の走行でがっくりと疲れが出ます。

 

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