当ブログ「十勝の地名(回答編)」をご覧ください。
北海道・蝦夷地に関心が集まりだし、探検・探査が行われ、様々な報告書や記録が残されました。その時の「地名・人名」は全て「カタカナ」で表記されています。
「地名」「人名」は「アイヌ語」の発音に「似た」或いは「より近い」和音で著しました。
例えば「yam wakka pira」=「冷たい・水・崖」とアイヌ語で呼ばれていた土地を「ヤム・ワッカ・ビラ」と表記しました。
その後、明治政府の支配が北海道全土に及ぶと、行政書類上「カタカナ」表記が「漢字」表記に統一されます。
「ヤムワッカ」は「止若」、「マクンベツ」は「幕別」、「チロット」は「白人」と云う風に書き改められました。
今から2千年ほど前にこの列島で同じようなことが起こりました。
中国の史書にこの列島のことが書かれだしました。
当然、当初は「地名・人名」が中国語で書き表されました。
有名なものでは俗に云う「魏志倭人伝」の「邪馬台国」や一連の30国ほどの国名(地名)や「卑弥呼」などの人名・官職名などがそれです。
この列島の人たちは、「漢字」と云う「外国語」を様々な工夫を加えて「日本語」にしてしまいました。「音」と「訓」、万葉仮名の発明、読下しの工夫、仮名(真仮名・片仮名)の発明などなど・・・・。今は、これらの事は省略します。
「用字」の違いは意味がない、「音」が重要である、と言われます。
これは「本居宣長」以来の長い研究の成果の結果で、間違いのない事実です。
算数の「1+1=2」と云うのと同じ基本知識です。
古事記と日本書紀で、特に「地名・人名・神名」の表記が違っています。
例えばイザナギ・イザナミは、伊耶那岐・伊耶那美 (古事記) 、伊弉諾尊・伊弉冉尊(日本書紀)と云う風に表記されます。
「用字」に意味はない、と云うのは、このイザナギ・イザナミの「音=読み方」が重要であり、使われている「漢字」は「どの様に発音するか」を表す為の手段に過ぎません。
これはアイヌ語を「カタカナ」で表記するか「漢字」で表記したかの差に過ぎません。
古事記は「序」で太安万侶が述べているように「日本風」を如何に表現するかに腐心しました。白川静が「古池や 蛙とびこむ 水の音」を「漢文」で表現できない、と指摘したように太安万侶の苦労は其処に在った訳です。
一方、日本書紀は、天武天皇が秦の始皇帝に倣ったこともあり、始皇帝が統一した度量衡はじめ多くの秦の制度を導入しました。
当然、始皇帝が統一した「漢字」も公式に採用しました。秦は西安を拠点としましたので、この「漢字」は、今までの「漢字」の「音」と大きく異なったものと云われています。
古事記が使用した「漢字」の「音」と日本書紀の「漢字」の「音」は全く違っています。
要は古事記、日本書紀で使われた「漢字」の「音」が違ったために表記が違ったのです。
所がこの表記の違いから「楽しいファンタジー」を作り出す人たちがいます。
藤原不比等が「何らかの」「政治的意図」から古事記を抹殺するため、日本書紀では全て地名・神名を書き換えた、と云う風な「都市伝説」が流布しています。この「藤原不比等歴史改竄」物語は、どうも「種本」があるようです。と云うのは、この不比等改竄ストーリの構成は、非常にレベルの高い研究成果の歴史事象の配列からなっています。そこいらの歴史お宅が創作できるレベルではないのです。その「種本」の聞きかじりが「歴史お宅」に流布して「都市伝説」が生まれたようです。
しかし、どの様に「難しい」理屈を並べ立てても「出発点」が「間違って」いれば、前提が崩れており、結果事実の解明からは程遠いものです。
現在では、日本書紀は駢体文(べんたいぶん)で書かれ、その原典も其々確認され
またメインの執筆者は「中国人捕虜」で「雄略天皇紀」から書き始めた、など詳しいことが解明されつつあります。日本書紀編纂に「太安万侶」が参加していたこともほぼ確実視されています。やはり「不比等」の歴史改竄物語は、説得力に欠けるようです。
今から1千年後、明治政府は徳川政権を否定するために、北海道の地名表記を「カタカナ」から「漢字」に変えた、などと云う「楽しい人」が現れるかもしれません。
その時、不比等に代わるのは「大久保利通」だろうか・・・。
北海道・蝦夷地に関心が集まりだし、探検・探査が行われ、様々な報告書や記録が残されました。その時の「地名・人名」は全て「カタカナ」で表記されています。
「地名」「人名」は「アイヌ語」の発音に「似た」或いは「より近い」和音で著しました。
例えば「yam wakka pira」=「冷たい・水・崖」とアイヌ語で呼ばれていた土地を「ヤム・ワッカ・ビラ」と表記しました。
その後、明治政府の支配が北海道全土に及ぶと、行政書類上「カタカナ」表記が「漢字」表記に統一されます。
「ヤムワッカ」は「止若」、「マクンベツ」は「幕別」、「チロット」は「白人」と云う風に書き改められました。
今から2千年ほど前にこの列島で同じようなことが起こりました。
中国の史書にこの列島のことが書かれだしました。
当然、当初は「地名・人名」が中国語で書き表されました。
有名なものでは俗に云う「魏志倭人伝」の「邪馬台国」や一連の30国ほどの国名(地名)や「卑弥呼」などの人名・官職名などがそれです。
この列島の人たちは、「漢字」と云う「外国語」を様々な工夫を加えて「日本語」にしてしまいました。「音」と「訓」、万葉仮名の発明、読下しの工夫、仮名(真仮名・片仮名)の発明などなど・・・・。今は、これらの事は省略します。
「用字」の違いは意味がない、「音」が重要である、と言われます。
これは「本居宣長」以来の長い研究の成果の結果で、間違いのない事実です。
算数の「1+1=2」と云うのと同じ基本知識です。
古事記と日本書紀で、特に「地名・人名・神名」の表記が違っています。
例えばイザナギ・イザナミは、伊耶那岐・伊耶那美 (古事記) 、伊弉諾尊・伊弉冉尊(日本書紀)と云う風に表記されます。
「用字」に意味はない、と云うのは、このイザナギ・イザナミの「音=読み方」が重要であり、使われている「漢字」は「どの様に発音するか」を表す為の手段に過ぎません。
これはアイヌ語を「カタカナ」で表記するか「漢字」で表記したかの差に過ぎません。
古事記は「序」で太安万侶が述べているように「日本風」を如何に表現するかに腐心しました。白川静が「古池や 蛙とびこむ 水の音」を「漢文」で表現できない、と指摘したように太安万侶の苦労は其処に在った訳です。
一方、日本書紀は、天武天皇が秦の始皇帝に倣ったこともあり、始皇帝が統一した度量衡はじめ多くの秦の制度を導入しました。
当然、始皇帝が統一した「漢字」も公式に採用しました。秦は西安を拠点としましたので、この「漢字」は、今までの「漢字」の「音」と大きく異なったものと云われています。
古事記が使用した「漢字」の「音」と日本書紀の「漢字」の「音」は全く違っています。
要は古事記、日本書紀で使われた「漢字」の「音」が違ったために表記が違ったのです。
所がこの表記の違いから「楽しいファンタジー」を作り出す人たちがいます。
藤原不比等が「何らかの」「政治的意図」から古事記を抹殺するため、日本書紀では全て地名・神名を書き換えた、と云う風な「都市伝説」が流布しています。この「藤原不比等歴史改竄」物語は、どうも「種本」があるようです。と云うのは、この不比等改竄ストーリの構成は、非常にレベルの高い研究成果の歴史事象の配列からなっています。そこいらの歴史お宅が創作できるレベルではないのです。その「種本」の聞きかじりが「歴史お宅」に流布して「都市伝説」が生まれたようです。
しかし、どの様に「難しい」理屈を並べ立てても「出発点」が「間違って」いれば、前提が崩れており、結果事実の解明からは程遠いものです。
現在では、日本書紀は駢体文(べんたいぶん)で書かれ、その原典も其々確認され
またメインの執筆者は「中国人捕虜」で「雄略天皇紀」から書き始めた、など詳しいことが解明されつつあります。日本書紀編纂に「太安万侶」が参加していたこともほぼ確実視されています。やはり「不比等」の歴史改竄物語は、説得力に欠けるようです。
今から1千年後、明治政府は徳川政権を否定するために、北海道の地名表記を「カタカナ」から「漢字」に変えた、などと云う「楽しい人」が現れるかもしれません。
その時、不比等に代わるのは「大久保利通」だろうか・・・。
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