当ブログ「トムラウシ・・」で、言葉不足があり、10kmのウォーキングが危険な様に書きましたが、これは失言で取り消します。
本サイト3年4組のHP「耳寄り情報」で「竹内街道散策と史跡めぐり」で参加者を募集している最中に、水を差すような事になり申し訳ない事になりました。
大震災などがあり、交通機関が不能になった時に「自宅まで歩いて帰る」経験をする催しがあるように、10~20kmを障害を避けながら歩けないとサヴァイヴァルできません。その訓練を兼ねて、皆で「竹内街道」を歩きましょう。
現在、太田さんにて参加者を受け付けていますので、早めに申し込んで下さい。
「大道」=だいどう、おおみち、と呼ばれる地名は全国に散見されます。
那覇市字大道(だいどう)
横浜市金沢区大道
越谷市大道
防府市台道(旧大道村)
徳島市大道(おおみち)
千葉県市原市姉崎大道
他にも沢山ある地名です。
多くの場合、幹線道路が通っており、それに由来しています。
大阪市天王寺区南部の「大道」(だいどう)という地名
堺市北区金岡町の金岡神社東側に「大道町」という字名があります。
日本書紀の推古天皇21年(613年)に、「難波から京(明日香)に至るまでに大道を置く」とあります。これが日本最古の官道です。
上記の2つの地名「大道」は、この日本最古の官道に由来するのです。
「大道」と呼び習わしていたようですが、堺から以降を「多治比道」などとも云い
やがて「長尾街道」「竹内街道」と呼ぶようになりました。
余談ながら「○○街道」など「街道」と言い出すのは江戸時代以降のことです。
隋使・裴世清
一行も難波津からこの道を「ワッソ、ワッソ、・・」と掛け声をかけながら京(明日香)まで行進したのです。
地名から「日本書紀」の記述が裏付けられた良い例です。
秋の一日を体力作りを兼ねて「竹内街道」を仲間と歩き、日本古代史に触れるのも楽しいですよ。
本サイト3年4組のHP「耳寄り情報」で「竹内街道散策と史跡めぐり」で参加者を募集している最中に、水を差すような事になり申し訳ない事になりました。
大震災などがあり、交通機関が不能になった時に「自宅まで歩いて帰る」経験をする催しがあるように、10~20kmを障害を避けながら歩けないとサヴァイヴァルできません。その訓練を兼ねて、皆で「竹内街道」を歩きましょう。
現在、太田さんにて参加者を受け付けていますので、早めに申し込んで下さい。
「大道」=だいどう、おおみち、と呼ばれる地名は全国に散見されます。
那覇市字大道(だいどう)
横浜市金沢区大道
越谷市大道
防府市台道(旧大道村)
徳島市大道(おおみち)
千葉県市原市姉崎大道
他にも沢山ある地名です。
多くの場合、幹線道路が通っており、それに由来しています。
大阪市天王寺区南部の「大道」(だいどう)という地名
堺市北区金岡町の金岡神社東側に「大道町」という字名があります。
日本書紀の推古天皇21年(613年)に、「難波から京(明日香)に至るまでに大道を置く」とあります。これが日本最古の官道です。
上記の2つの地名「大道」は、この日本最古の官道に由来するのです。
「大道」と呼び習わしていたようですが、堺から以降を「多治比道」などとも云い
やがて「長尾街道」「竹内街道」と呼ぶようになりました。
余談ながら「○○街道」など「街道」と言い出すのは江戸時代以降のことです。
隋使・裴世清
一行も難波津からこの道を「ワッソ、ワッソ、・・」と掛け声をかけながら京(明日香)まで行進したのです。
地名から「日本書紀」の記述が裏付けられた良い例です。
秋の一日を体力作りを兼ねて「竹内街道」を仲間と歩き、日本古代史に触れるのも楽しいですよ。
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