馬糞風リターンズ

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弥生の銅鐸は復元できない。

2009年12月03日 | 歴史
ひろてんさん、コメントありがとうございました。
考古学も学際化して「冶金学」の知見が「銅鐸」研究に大きく貢献しています。
その代表的な成果が、「銅鐸」に使用されている「銅」は大陸から輸入された銅のインゴットとされていたのを、国産銅を使用した事を解明した久野雄一さんの研究です。

 久野さんは、三国が丘高校から東大工学部で冶金学を学んだ後、父・晴雄氏が創業した「三宝伸銅工業」に入り、他界した父の後を継いで30代で社長に就いたが、社長業のかたわら「銅」の研究を続け、日本における「銅」研究の第一人者と目されています。
 また、日本の古代金属に関心をもち、それまで大陸から渡来したとされる「銅鐸」について、その成分を分析して日本国内で産出した銅や鉛、錫で造られたものであることを実証し、従来の定説を覆しました。

 久野雄一さんの弟邦雄さん(故人)が奈良県立橿原考古学研究所に在籍していたことから、久野さんが銅鐸を復元して付属博物館に寄贈しました。

 この銅鐸は三宝伸銅の久野さんの会社でこしらえたものです。大きさ、形、模様といい、銅プラス錫プラス鉛の成分といい、本物の銅鐸と寸分違わず復元銅鐸を作りました。ところが作った久野さんがいつも「この音は実物とは違います」と言っています。現在のトップ技術で作っても厚さが分厚い物しかできないのです。今度、加茂岩倉遺跡で出土した一番いい銅鐸は2ミリです。現在2ミリで全部鋳物で仕上げる技術はありません。日本のトップレベルの技術者がいくら挑戦してもできないのです。現在の技術では厚さが5ミリぐらいが限度です。久野さんは復元銅鐸を旋盤で削れば薄くなるということを知っていますが、弥生時代の技術はすごいんだぞというので、彼は復元銅鐸を削っていないのです。だから久野さんはいつも「あの音は実は違います、弥生の音ではありません」と言っているのです。

 久野雄一さんは、2009年4月25日心不全のため逝去されました。

ひろてんさんのご指摘の「鋳造失敗説」傾聴に値すると思いますが、ただ出土した処に工房跡が見つからないことが説明がつきません。
再利用したと思われる「炉」の跡が見つかっている例はあるようです。

 僕も銅鐸が意図的に破壊されたとは思っていません。
今回実験を見に行きましたのは、復元銅鐸を実際に見たかったからです。
東大阪市の上田合金の上田富雄社長が、現在銅鐸研究に協力されています。

 写真の復元銅鐸を持たせてもらいましたが、「やはり重たい!」と実感しました。
復元モデルの銅鐸のデーターと全く同じなのですが、「重さ」だけが3倍近くありました。
結局、2mmの厚みでは現在の技術では作れないようで、5mm近くありました。


 

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1 コメント

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どうして? (ひろ)
2016-04-07 15:32:14
なんで鋳物で厚み2ミリで作れないのでしょう?
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