馬糞風リターンズ

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「錦の御旗」・・・・・ トコトンヤレ節考(2)

2010年08月16日 | 歴史
写真は戊辰戦争の際に、佐土原藩主島津忠寛(しまづただひろ)に下賜された御旗。大きさ65cm×354.5cm(宮崎県総合博物館蔵)
東征大総督有栖川宮熾仁親王に下賜された「錦の御旗」は東京国立博物館に「有栖川宮熾仁親王遺品」として収蔵されているそうです。

「トコトンヤレ節」に「錦の御旗」が登場します。
ネット上では沢山の書き込みがありますので参考にしてください。
今風に解釈すると「水戸黄門・葵の印籠」など比べ物にならないほど「威光」のある物のようでした。

 日本歴史の特異な、或は特徴の一つとして「王朝」の交代が無い、と言われています。
日本では「天皇・朝廷」に弓を引く、と云う事はないのです。
織田信長の様な革命児でさえ、圧倒的な政治・経済・軍事力を持っていながら、決して「朝廷」を倒し、自ら「天皇」になろうとはしなかったのです。

徳川家康、豊臣秀吉、足利義満、・・なども同様で、比類なき権勢を手中に収め「天下人」となりながらも「征夷大将軍」や「関白太政大臣」と云う風な「冠位」を朝廷から賜り、その正当性を主張したのです。

 日本では「正義」や「正当性」は「天皇・朝廷」にあり、そのため「天皇・朝廷」をどちらに取り込むか大問題となります。
一度、「朝廷」の後ろ盾を得ますと、それは「正義」であり「正当」なものとなってしまいます。
朝廷が支持したとなれば「官軍」であり、相手は「賊軍」となり「逆賊」の汚名を着せられ討伐されるべきものとなってしまいます。

「鳥羽伏見の戦」に於いても、当初は大政奉還後の新政府内での「薩長」と「旧幕府」との権力闘争、私闘と看做されていたものが、武力衝突の次の日、薩摩軍の本営・東寺に「錦の御旗」が掲げられた事に依り、「薩長」は「官軍」となり「旧幕府軍」は「賊軍」となってしまいました。この事に依り、多くの「洞ヶ峠」を決め込んでいた諸藩が、雪崩を打って「薩長」に従い、「討幕」が新政権の「意思」となってしまいました。

「錦の御旗」を画策したのは「岩倉具視」とされていますが、戦略的には「最大の効果」をもたらし、以後の歴史を決定付けたかも知れません。

余談ながら、幕末維新は多くの本が刊行されています。また、小説・ドラマ・映画・講談・・・など面白いもなが沢山あります。

それらのものも興味がありハラハラドキドキします。司馬遼太郎の小説も良いのですが、お勧めは、例えば「史談会・速記録」のような、当時の事件現場に居合わせた人たちの「目撃譚」や「日記類」「回顧録」或いは記憶が生々しい時期に書かれた「維新史」などを一読される事も小説の面白さよりも「臨場感」があって「ハラハラドキドキ」ものです。

因みに、鳥羽伏見の戦の緒戦時、大方の両勢力に対する見方、また「錦の御旗・錦旗」の「威光」がどの様なものであったか、この2点を当時の史料で紹介します。

田中光顕(たなかみつあき・土佐藩士、陸援隊士。維新政府では宮内大臣など)
「維新風雲回顧録」より

 鳥羽伏見の一戦が、どう進展するか、まるッきり見当がつかぬので、御所でも、諸卿が狼狽気味である。「鳥羽伏見の戦いは薩長会桑の私戦にして、朝廷に関するところでない

 さきには、三十石の竹床の下に、蒲団まきになって亡命したのが、今日は、威風堂々として、山崎の関門にかかる。先頭には錦旗が翩々(へんべん)として、比叡おろしになびいている。
番卒は、異様ないでたちの一行をあやしんだ。
「いづれの御藩でござるか」詰問にかかる。
すると、一行中の波江田浩平が、つと進み出て、錦旗の下に、仁王立ちとなる。
「貴様は、この旗をしらぬかっ」頭から大喝した。
「一向存じませぬ」
「知らぬとあればいうてきかせる、こはこれ、おそれ多くも、天朝よりご下賜の錦の御旗
であるぞっ」
「へへへへっ」
番卒は、錦の御旗と聞くと、そこへ土下座をして、平伏してしまった。

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6 コメント

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初代錦の御旗:日の丸のルーツ (ひろてん)
2010-08-16 22:14:39
●日の丸御旗のルーツ
 源頼義(八幡太郎義家、加茂二郎義綱、新羅三郎義光ら三兄弟の父)が後冷泉天皇から下賜された御旗が日の丸のルーツとされています。
 この日の丸は、嫡男に受け継がれずに三男の新羅三郎が受け継ぎ、次の代も二男の義清→清光父子(逸見氏の祖:冠号小倉)がこれを受け継ぎ逸見家の家宝となります。
 清光は子沢山で、嫡男光長(逸見太郎)ではなく二男信義(竹田太郎)が家宝として日の丸を受け継いでいる。それ故、竹田家が保存している日の丸が、日の丸のルーツとされているようです。
 妻の家系が清光の嫡男光長(逸見太郎)につながっているそうで、この光長が日の丸を受け継いでいたとすれば、ひょっとして我が家にルーツの日の丸が温存されていたかも知れない、と夢想しながら歴史を楽しんでおります。(あり得ない話ですが・・・・)
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甲斐源氏の不運 (amachan_001)
2010-08-18 23:29:07
ひろてんさんの奥さんの家系は「甲斐源氏」の名門「逸見氏」だそうですネ。「日の丸」のルーツとされる「日章旗」が「逸見氏」に伝承されていれば・・。チョット残念。
 流罪の頼朝には「手勢の軍事力」がありません。それでも短期間に「平家」を滅ばす事が出来たのは「甲斐源氏の軍事力」にあったそうです。京都に入った鎌倉勢は、頼朝配下の武将が指揮・統制をしようとしましたが「甲斐源氏」の諸武将は、頼朝と対等な意識があり、頼朝配下の式には入りませんでした。官僚主義の頼朝は強く反発して、甲斐源氏の有力武将を鎌倉に招き「暗殺」してしまいます。吾妻鏡など正史には書かれていない「甲斐源氏」の不運無歴史があるようです。
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グリーンたたら製鉄 (安来製作所)
2024-02-07 19:36:22
最近は改革派と保守派のどちらも正しくないように見えるのは私だけでしょうか。今は人工知能(AI、ChatGPTなどの生成AI)の是否をめぐって白熱した議論がくりひろげられています。原因は、経営者がDX推進をする際にブラックボックス問題はどうするんだということが根底にありそうです。こういった人工知能を中心とするアルゴリズム革命の根本は回帰計算であることを思い起こさせるいい教材はなかなかないのですが、プロテリアルでSLD-MAGICという高性能マルテンサイト鋼を発明した、久保田邦親博士の材料物理数学再武装は結構参考になるのではと思います。玉鋼や日本刀の研究者で正道を歩む研究者で材料強度学等の分野横断的視点から論じています。参考まで
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グローバルサムライの群像 (デジタルテクノロジー関係)
2024-03-18 14:41:48
久保田氏のことは知りませんが、まあ構造改革はメガトレンドを読めないといけないのはたしかですよね。明治維新もそうだった、国学から始まった、尊王思想は攘夷にかわり倒幕のエネルギーを蓄えたが、いざ倒幕すると明治新政府は尊王開国だった。一直線に進めるというのはなかなか難しかったんだと思いますね。
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メガトレンド (マルテンサイト千年)
2024-03-23 09:48:14
軸受国富論かあ。嵐を呼ぶぜ。
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マルテンサイト千年 (錦の御旗)
2024-05-08 07:21:12
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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