馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

兵庫県柏原町(現氷上市)に行って来ました。

2009年08月21日 | ドライブ・旅行
 ふと、壷井栄の小説を思い出しました。仲良く自転車を押しながら語り合う男女の高校生が自然な風景となっている何か懐かしい、しっくりとくる町並みです。
僕には無かった伸びやかな溌剌とした高校生の姿に「やるなア」と無言の声援を送りました。小さな喫茶店で「焼きそば定食」を食べました。何時のことか、同じ経験をしたような思いが過りました。

 柏原町は、天下統一を目前にしながら、本能寺に倒れた織田信長の子孫が治めた柏原藩があった所です。「城下町柏原」と観光案内にありますが、柏原にはお城はありません。所謂「陣屋大名」ですから現在も陣屋跡は観光資源として保存されています。
 柏原藩は「前期」「後期」に分かれているようです。
慶長3(1598)年、信長の弟信包(ノブカネ)が丹波国氷上郡に3万6千石を与えられたことから始まります。所が3代藩主信勝が慶安3(1650)年が世継ぎの無いまま死去した為廃絶となりました。
大凡半世紀の間、柏原は天領となり代官が支配していました。
元禄8(1695)年、信長の次男信雄の玄孫信林が大和松山藩(大宇陀)から国替えとなり「後期柏原藩」となりました。2万石に減封されましたが明治維新の廃藩置県まで10代織田家の所領として栄えました。
 陣屋跡の前に「柏原町歴史民俗資料館・田ステ女記念館」があります。
歴史民俗資料館は柏原藩主織田家に伝来した歴史資料を展示公開しています。
同じ建物内にある「田ステ女記念館」は、「元禄四俳女」の一人「田ステ」にまつわる資料を展示紹介しています。
「田家」は柏原織田家の家臣で、ニュースキャスッターや国会議員を務めた「田英夫」もこの一党のようです。
「ステ女」は六歳で「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」の句を詠んだと云われる才女です。
ステ女(貞閑尼)の生き様は、俳人、文人として母親、妻として、後年尼僧として封建の厳しい時代でありながら時代に負けることなく、女性として魅力的に生きた珍しい人です。「加賀の千代女」と共にもう少し勉強したい人物です。
 写真は観光案内所前にある「木の根橋」です。
千年かけてこの川を渡ったといわれています。
樹齢千年とも推定される大ケヤキの根が、幅8mの奥村川をまたいで自然の橋になっています。柏原のシンボルとして木の根橋は昭和45年に県の天然記念物に指定されました。

しかし、「政権交代!」「景気対策」とがなりたてる何とも無粋な選挙カーはこの街には似合わない。