四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

鹿児島市への帰省(その3)

2019-06-07 13:40:26 | 生かされて今日

 かごしま医療センターの向かいに「薩摩義士の碑」がひっそり建っております。今から270年前江戸幕府が有力な薩摩藩を弱体化させる目的で、岐阜県のあばれ河の木曽三川の堤防工事を命じました。

 木曽川、長良川、揖斐川の治水は88名の犠牲を強い、かつ膨大な経費を薩摩藩に引っかぶせたのです。まさに徳川幕府の無慈悲な命令でした。藩への自責の念から総責任者、家老の平田靱負(ひらたゆきえ)は帰国後割腹して果てました。幕府への遠慮から犠牲者の追悼は密やかにされ、後日ようやくこの碑が建てられました。

故郷を遠くして落命した方々の無念さを思い合掌しました。

 墓銘は皆「君づけ」で彫られ、名字なき下働きは「与八君」、「仁八君」、「六平君」などと。祭壇正面には木曽川、長良川、揖斐川で採取された石がお供えとして置いてありました。岐阜県の治水工事の現場には木曽三川公園があり、県民が感謝してくれております。この縁から鹿児島と岐阜の両県は姉妹県となっております。

幼かった次男坊は鬱蒼としたこの慰霊塔を怖がって近づきませんでしたよ。


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