鎌倉七口のひとつ名越切通(なごえきりどうし)は、三浦半島に蟠踞した三浦一族への防御のための軍事施設といわれています。
騎馬や兵が一挙に鎌倉へなだれ込まぬよう道が狭くしてある山坂で、山水がしたたる薄暗い不気味な地域です。下をJR横須賀線が走ります。材木座長勝寺さん側から線路沿いにぬかるんだ山坂を登りますとまんだら堂やぐら群です。逗子市教育委員会により十二月九日までの土日にその史跡が開放されているので久しぶりに見学に参りました。
鎌倉は平地が少なく墓を平地に作ることを禁止したために山地に横穴、やぐらを掘り遺骨を納めたようです。一般庶民は野ざらしですが武士や僧侶、貴族の権力者のみお墓が営まれ五輪塔がやぐらの中に並んでいます。薄ら寒の中を遺跡保護のボランティアされている方から資料を頂きました。150もやぐらが残されているそうです。木の根が蛇のように食い込んだり、すでに崩壊している穴もあります。謀反渦巻く鎌倉ですから斬首された頭蓋骨が出土したそうです。
鎌倉の紅葉、黄葉は今から進むようです。残る虫のか細い声、カラスウリや赤のまま、石蕗の花やノアザミがやぐらを取り囲んで得も言われぬ空間でした。7、8百年前の鎌倉は天皇のおられる京都と日本の権威ある武家政治の中心地でした。庶民は掘っ立て小屋住まいで飢餓、疫病で平均寿命は30台だったでしょう。
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