『つい数年前まで、米の増産に対して奨励金が出されていたのに、いまは米を作らないようにすることに、奨励金が出されるようになってしまいました。
このように社会全体がクルクルと変化して、いったい何を信じたらよいのか分からない状態になっています。そうした影響もあって、社会全体が、未来に向けて地道な努力を重ねるよりも、すぐに結果が現われる目先の楽しみを求めるようになってしまったように思われます。
人びとがパチンコや競馬といった刹那的(せつなてき)な享楽に走り、若者たちが「いまさえ楽しければいい」といった生き方に流されてしまうのも、当然といえるかもしれません。
しかし、すべてが目まぐるしく変化して、信じられるものが少ない社会だからこそ、永遠に変わることのないものが存在すること、互いに信じ合い、助け合える人間の社会が存在することを知ってもらう呼びかけが大切なのではないでしょうか。確信をもって呼びかけ続ければ、必ず応えてくれる人がいるはずです。
だれもが、心の底では信じられるものを必死に探し求めているのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より