alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

ロルフィングとエサレン・マッサージの歴史

2018-05-31 | マッサージ研究

「ロルフィング概説」
藤本 靖『日本補完代替医療学会誌』
Vol. 2 (2005) No. 1 P 37-43
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/2/1/2_1_37/_pdf

ロルフィング(Rolfing)は、アイダ・ロルフ(Ida Pauline Rolf:1896-1972)博士がつくったボディワークです。
現在のFascia研究者たちは、ロバート・シュレップにしてもトマス・マイヤーズにしても「ロルフィング」のプラクティショナーでもあります。
Fascia研究には3つの大きな源流があり、一つはオステオパシー・カイロプラクティックで、もう一つはトリガーポイント鍼療法、そしてロルフィングです。

【ロルフィングの創始者アイダ・ロルフ】
 アイダ・ロルフは、1896年にニューヨークに生まれ、1920年にコロンビア大学で生化学で博士号をとりました。この1920年代にロルフはハタ・ヨガを研究していたそうです。1920年代の欧米は東洋ブーム・自然医学ブームでした。当時はドイツでもヨガやホメオパシーが大流行しています。1927年にロルフはスイスのジュネーブ、スイス工科大学で数学と物理学を学びながらホメオパシーを学びました。1930年代には、ロルフはアメリカでオステオパシー、カイロプラクティック、アレクサンダーテクニークを研究しています。この時代にオステオパスのトマス・モリソン博士からオステオパシーを学び、モリソン博士は後にロルフィングのクラスで筋膜について講義します。1940年代にアイダ・ロルフは出張治療の形で初期の「ストラクチュラル・インテグレーション(構造の統合)」というロルフィング技術を始めました。1947年に夫のウォルターが亡くなり、14歳と13歳の息子をかかえ、貯金も少なかったロルフは、多くのクライアントに施術を行いました。1950年代後半にはアメリカ、イギリス、カナダでワークショップを始めました。

【エサレン研究所と、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間の潜在能力開発運動)】
 1960年代のアメリカは「カウンターカルチャー」運動が起こりました。1961年にカルフォルニア州ビッグサーの海岸に「エサレン研究所(Esalen Institute)」が出来ました。
 「エサレン研究所」に住んでいたゲシュタルト療法の創始者フリッツ・パールズ(Frederick Perls:1893-1970)は心臓病に苦しみ、アイダ・ロルフのマッサージを受けて緩解しました。フリッツ・パールズ(1893-1970)はヴィルヘルム・ライヒ(1897-1957)の治療を受けていたのですが、ライヒが亡くなってから心臓病に苦しみ、アイダ・ロルフを「ヴィルヘルム・ライヒの後継者」と見なしました。当時のエサレン研究所には、「ゲシュタルト療法」のフリッツ・パールズや「欲求五段階説」「自己実現」のアブラハム・マズロー、グレゴリー・ベイトソン、建築家のバックミンスター・フラー、「クライアント中心療法」「カウンセリングの創始者」「エンカウンター・グループの創始者」カール・ロジャースなどが居ました。

 エサレン研究所でのアイダ・ロルフのマッサージは、当時、「痛い」(笑)のと、クライアントがトラウマの解放などの心身相関現象を体験するので有名でした。ロルフのマッサージは、心身を治療するものでした。

 また、当時のアイダ・ロルフは、ヴィルヘルム・ライヒの影響を受けていました。ジークムント・フロイトの直弟子ヴィルヘルム・ライヒは「気」そっくりの「オルゴン・エネルギー」を提唱し、精神的トラウマがオルゴン・エネルギーの詰まりを引き起こし、それをマッサージで解消するという治療法「ヴェゲトセラピー(Vegetotherapie)」を行っていました。ヴィルヘルム・ライヒの直弟子アレクサンダー・ローウェン(Alexander Lowen1910-2008)も「生体エネルギー(バイオエナジーBioenergy)」の詰まりが姿勢や筋肉の緊張をつくりだすという理論から「バイオエナジェティックス」という心身相関理論をつくりだしています。

 また、1963年以降のエサレン研究所では、「センサリー・アウェアネス(感覚に気づく)」のワークショップが多く開かれました。「センサリー・アウェアネス(Sensory Awareness)」を提唱したシャーロット・セルバー(Charlotte Selver1901-2003)がスウェーデンマッサージとボディワークを統合して、オイルマッサージによる「エサレン・マッサージ(Esalen massage)」をつくりました。シャーロット・セルバーはダンスムーブメント・セラピーにも影響を与えています。

 また、1972年にエサレン研究所では、モーシェ・フェルデンクライス(Moshé Feldenkrais1904-1984)がフェルデンクライス・メソッド(Feldenkrais Method)を講義しています。フェルデンクライスはロシアに生まれたイスラエル人の物理学者で1933年にフランスのパリで嘉納治五郎と出会い、柔道を始め、パリに最初の柔道連盟をつくりました。1942年に30代でサッカーで痛めた膝の治療のために自分自身で治すために始めた身体観察で「アウェアネス・スルー・ムーブメント(身体運動を通じた気づき)」と言われる「フェルデンクライス・メソッド」を創始しました。
 この時期のエサレン研究所(Esalen Institute)はいまと違って、世界の心理学の中心地であり、思想的にも深みのある「ボディワーク」の一大中心地でした。現在の「エサレン・マッサージ」はスピリチュアリティを失った、無免許マッサージの金儲け主義の自己啓発セミナーのイメージがあり、「エサレン」のイメージは地に落ちており、残念です。

【ボディワークとなった「ロルフィング」】
 1971年にロルフ身体統合研究所(Rolf Institute of Structural Integration)が設立され、アイダ・ロルフの活動はコロラド州ボールダーにうつります。アイダ・ロルフはマッサージの出張治療から始まったのですが、1961-1970年のエサレン研究所時代をくぐりぬけて、10セッションからなる「ボディワーク」や「身体教育」と呼ばれるものに変化していました。1977年にアイダ・ロルフの最初の著作「Rolfing:The Integration of Human Structure」が出版され、2年後の1979年にアイダ・ロルフは82歳で亡くなりました。

 アイダ・ロルフは筋膜をリリースするボディワークを行っていました。

 2007年には、「アイダ・ロルフ・筋膜Fascia研究ファウンデーション(the Ida P. Rolf Fascia Research Foundation)」が設立されました。現在でも『アナトミー・トレイン』を書いたトマス・マイヤーズや『膜・筋膜 張力ネットワーク』を書いたロバート・シュレップなど、ロルフィングのプラクティショナーがFascia研究をリードしているのは、このような歴史的経緯があります。
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アイダ・ロルフの人生については、以下の素晴らしい論文があります。アイダ・ロルフはオステオパシーの頭蓋仙骨療法(クラニオセイクラルセラピー)の基礎を創ったウィリアム・サザーランド(William Sutherland)の講義にも参加していたことを初めて知りました。

「ストラクチュアル・インテグレーション:起源と発展」(英語)
Structural Integration: Origins and Development
Eric Jacobson, Ph
J Altern Complement Med. 2011 Sep; 17(9): 775–780

「ロルフィング」に関する科学的研究をまとめた以下の論文もあります。「ロルフィング」の筋膜研究者たちはメカニズムについてクリエーティブな研究を行ってはいますが、臨床的エビデンスはありません。

「ストラクチュアル・インテグレーション:徒手医学と運動感覚教育の代替方法」(英語)
Structural Integration, an Alternative Method of Manual Therapy and Sensorimotor Education
Eric Jacobson, Ph
J Altern Complement Med. 2011 Oct; 17(10): 891–899.


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