ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

左脳の休息

2011年03月11日 | 中学受験 合格力随想

『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』において、人間の意識の仮説である二分心を説いたジュリアン・ジェインズが面白い実験を提案しています。

まず何でもいいから、自由な話題を数分間喋り続けます。それはだれにでもできます。そして、そのあと、同じように自由な話題を数分間歌い続けるという実験をします。しかし歌で喋るということは、すぐにできなくなります。歌に意識を向けると同じ言葉を繰り返すようになるか、逆に言葉に意識を向けると歌のようなメロディーにならなくなるからです。

つまり、言語は、左脳で処理しているに対し、イメージやメロディーやリズムは、右脳で処理しているため、歌に話題を載せるという作業は、左脳と右脳に意識を交互に向けなければならなくなるから難しいのだと言うのです。

では、決まった歌詞のある歌はどうかというと、これは、言葉ではなく歌として右脳が把握しているので、歌うことができるのだと言います。脳出血などで左脳の言語中枢が使えなくなったとき、言葉を喋れなくなった人でも歌は歌うことができると言われています。

ジュリアン・ジェインズは、歌に言葉を載せるという練習を子供のころからしていてそれが自由にできるようになれば、左の言語脳が使えなくなったときも、歌で喋ることができるようになるのではないかという面白い提案をしました。たぶん、彼はこの実験を自分なりにしたのではないかと思います。

私は、同様のことが、暗唱についても言えると思いました。 暗唱をしていると、だんだんと言葉を喋っているというよりも、詩または歌を喋っているような感覚になります。 つまり、言葉の意味を把握するという左脳的な意識がないままに、言葉を発声しそれを聞くという行動を繰り返すので、言語をつかさどる左脳が、暗唱をしているうちに働くのをやめて休んでしまうのだと思います。

言語を処理する左脳が休んでいるのに、言語的な動作が続くとなると、相対的にイメージや音楽を処理する右脳が優位になります。このことによって、右脳のイメージ化された認識の仕方が、左脳の言語脳に生かしやすくなるということが言えると思うのですが…。

これまでの教育は、読む学力を育てることが中心でした。読んだものを理解してその知識をテストするような勉強なので、読んで内容を理解すれば学習は終わりという学力でした。 ところが、これからは、読んだものをどのように生かすかということが大事になってきます。これを、書く学力と言ってもいいと思います。 読んだものを読んで理解することにとどめずに、新しいものを創造することに結びつけるような学力がこれから求められてくるということです。

そんな時代を生きる子どもたちに確かな力を伝えていかなければなりません。 



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