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2025黄釈子 Blog 「My Days」by 吉住幸則

元石川銀行出資被害者原告団長の「進化」する老人、どん底人生、日々の戯言。

ドアノブを消す

2022年11月20日 | 気象

2022年11月20日(日曜日)午前7時:[ 8c/16c/100%  ]{ Getuo0600 }  雨

めちゃくちゃ、驚いた。昨夜は9時半ごろにベッドに入ったが、目を覚ました時は午前5時。ここまでぐっすり眠ったのは、近年全く記憶がない! いや、記憶がないだけかもしれないが。

特別に昨日が疲れたわけではないと思うが、寝る前に久しぶりに頸椎の後靭帯骨化症の薬(痛み止めと何か小さな白い錠剤)を飲んだ。多分、その効果に違いない。

しかし、目が覚めるとくしゃみを何十回も連発し、布団の上でゆっくりストレッチどころではない。洗面所に行って顔を洗っても、鼻水が止まらない。風邪でも引いたか、コロナか?

まあ、特別に用事のある日曜日ではないので、そのうち収まるだろう。台所でコーヒーを立てたり、例によってフライパンの上にいろいろ載せて、朝飯前の軽い熱々の朝食を食べて部屋に戻ると、石油ストーブで暖かくなっているので、素っ裸になって軽くストレッチをした後に、着替える。相変わらず、鼻水が止まらない。

鼻炎カプセルを飲みたいが、これはオシッコを止める作用があるので、しばし、敬遠。

ところで、昨日から自分の部屋のドアのドアノブを取り外してしまった。押すか引けば、ドアは開いて、半分自動で閉まる(自動式に孫など子供は大喜びする)。一応、閉まった時は磁石がはたらいてカチッとくっついて、少しくらいの風圧では勝手に開かない。

考えてみれば、狭い日本家屋のドアが大流行したのは、昭和の40年代や50年代。アホなアメリカの生活習慣に憧れて、経済成長していた頃だ。ドアを開閉するというのは、日本文化にない、実にアホのような不経済な生活空間の無駄遣い。それまでの戸障子のように横にスライドさせる方が、はるかに合理的で利口な方法だと気づくのに、30年や40年が経過している。

ウサギ小屋にドアは必要ないのだ。まあ、それから2、30年経過しても、まだ我が家には、その阿呆なドアが生き延びているから、せめて、遊んでいるだけのこと。

こちらは廊下側の部屋の外。「ひく」だけでドアは開く。我が家の(私の)「自動」は電力を使わない重力の法則だから、まだ「開く」は工夫出来ない。「閉める」は簡単に出来る。

ドアノブの内側に「栓抜き」をぶら下げたのは、万一「ひく」必要があった時、使う。普段は、「押す」だけで開くし、自動で戻ってくるのだから、全く必要ない。念のために、説明すれば、さ。