古いほうの2階の屋根瓦が割れて、ずれていると、通りかかった業者がワイフに指摘して「直しましょうか?」と言ったらしい。屋根に上がってみると、南はしに近い、西の端から3枚目の瓦が一枚、3つに割れて、ずれている。端っこだから、怖いが、よーく観察すると、もっと体重が軽い頃だが、屋根雪下ろしの時に、スコップで割ってしまい、自分でコーキングしたことを思い出した。そのコーキングが割れちって、瓦がずれたのだ。
それなら、もう一度寄せ集めて、コーキングすればいい。幸い、古い越前瓦だから、滑らない。しかし、傾いた屋根に登っただけで、もう、5、6年前とはまるでバランス感覚が違う。これは低い脚立に乗っただけでも、すぐに感じる「感覚」の問題。自分で自分を調整できないのだ。
めちゃくちゃ、不安を覚える。で、慎重に作業して、なんとか、再コーキング。人は死ぬまで生きるのと同様、古い家だって、限界まで補修、保全する。修繕できるのが、楽しい。目下の私の明確な方針だ。それで、何か不自由があるだろうか?
たとえ、7億円か10億円の年末ジャンボが当たっても(買わなきゃ当たらない?)このままでいい。そんな気がする。
人は、自分に合った快適な「巣」の中で生きるのが、一番落ち着くのだ。隣のばーちゃんは、自分の家に帰りたくて、真夜中に徘徊する。
それなら、もう一度寄せ集めて、コーキングすればいい。幸い、古い越前瓦だから、滑らない。しかし、傾いた屋根に登っただけで、もう、5、6年前とはまるでバランス感覚が違う。これは低い脚立に乗っただけでも、すぐに感じる「感覚」の問題。自分で自分を調整できないのだ。
めちゃくちゃ、不安を覚える。で、慎重に作業して、なんとか、再コーキング。人は死ぬまで生きるのと同様、古い家だって、限界まで補修、保全する。修繕できるのが、楽しい。目下の私の明確な方針だ。それで、何か不自由があるだろうか?
たとえ、7億円か10億円の年末ジャンボが当たっても(買わなきゃ当たらない?)このままでいい。そんな気がする。
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