ひょうきちの疑問

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「授業でいえない世界史」 51話 戦後 戦後のアラブ・アジア・アフリカ

2019-05-28 07:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【アラブの動向】
 第三勢力の結集というところのアラブの動向に行きます。

 前回は日本のことを言いました。1951年日本が独立しました。エッ、日本が独立してなかったんですか、という人がいます。1945年から1951年まで、法的にはこの6年間、日本という国はないです。日本列島はあっても日本という国はない。主権がないからです。ここの日本という地域の主権、これはアメリカ史の一部です。この地域の行政を決めるのはアメリカです。GHQというのは、アメリカ政府の下部組織です。それまでの日本の政治はここで決まっています。

 日本が独立したのがサンフランシスコ平和条約です。ただし独立の条件が何だったか。日本の独立は、極東の防壁のための日米安全保障条約とセットなんです。これで日本に米軍が常時駐留することが決まった。


【イスラエル】 日本の次にはポンと飛んでイスラエルに行きます。ほぼ同時期、1940年代、戦争が終わってすぐに本当はここに来ないといけない。


 1948年5月、ユダヤ人国家が2000年ぶりに誕生した。これがイスラエルという国です。私はずっと世界のヘソと言ってきた。小さいけれども世界のヘソで、世界はここを中心に動いてるようなところがある。ここを中心に見ると、分からなかったことが分かったりするから恐ろしい。
 ここは2000年間、誰も住んでなかったわけではない。アラブ人がそこに住んでいた。そこにユダヤ人が入ってきて、おまえたちは出て行けと言われる。当然、腹を立てる。2000年ぶりに、帰ってきたぞと、ユダヤ人は言うんだけど、帰ってきたんじゃない。おまえたちはオレたちを追い出しているだけだ、こんな非合理なことがあるものか。これがパレスチナ戦争です。1948年、戦争が終わった3年後に起こる。


 本当はパレスチナ戦争で終わりのはずだったんだけれども、この後に2回目が起こる。10年後に3回目が起こる。そのあと4回目が起こる。だから、名前はパレスチナ戦争ではわからないということになって、第一次中東戦争といいます。その始まりになってしまった。2次、3次、4次まで続きます。


 ここは第一次世界大戦後、イギリスが領有していた。つまりイギリスがいるんです。当時は大英帝国です。その後ろにアメリカがつく。イギリスは、あなたたちが第一次大戦でイギリスに協力するなら、あなたたちの国をパレスチナに2000年間ぶりに建ててやりましょうと約束したものだから、ユダヤ人がオレたちの土地だといいながらそこに移住し始めた。そして、それまで2000年間住んでいたアラブ人を追い出した、退け、と言う。するとアラブ人は、何だと、と対立するわけです。


 彼ら追い出された人たちを、パレスチナ人というわけです。広くとらえればアラブ人なんです。イスラエル建国の最初からこうなっていたのです。
 そのパレスチナ戦争はイスラエルの勝利です。不思議です。こんな小さな国が、できたばかりの国が、なぜこんなに強いのか。イギリスがいる。さらにその後ろにアメリカがいるからです。今では核まで持っている。


 その一方では、さっき言ったようにパレスチナ難民が発生します。追い出されたアラブ人のことをパレスチナ難民といいます。難民というのは、国を追い出されて、行き場を失った人たちです。

 当初のユダヤ人国家というのは、この地図の緑の部分、これで半分ずつ住み分けようという約束だった。ところが戦争に勝利したら、イスラエルの領域はますます広がった。当初は半分にしようという話が、どんどん嘘の塊のようになって、結局戦争に負けたらどこも住めない。今ではここはほとんどが実質上、イスラエル国家です。ここにそれまで住んでいたアラブ人たちは、今はガザ地区というこんな狭いところに押し込められています。


▼イスラエルの占領地域


 ユダヤ人はユダヤ教徒です。それに対して、ここに追し出されたパレスチナ難民はイスラーム教徒です。しかもこの周辺は全部イスラーム教徒なんです。


 こういう事態にイスラーム社会全体はこころよく思わない。オレたちの国の一部にこんな国をつくって、一体どういうつもりなんだと。


 今でもこの紛争は続いています。イスラーム教徒とキリスト教は・・・つまりアメリカとですが・・・仲悪いです。アメリカは世界最大の軍事力を持っていて喧嘩すると強いから、すぐ勝つわけですけれども、それに対するイスラーム教徒の反発というのは非常に大きい。


 日本はそうでもないけれど、フランスとかイギリスとかでは、最近しょっちゅうテロが起こっています。これはここ70年来の恨みです。


 それがまた20年前の9.11事件から急にまた大きくなって、恨み骨髄です。あまりアメリカに肩入れしていると日本でも起こるかも知れません。日本は戦後は完全にアメリカ側の国になってますから。最近では集団安全保障で、アメリカの仕掛ける戦争に荷担することさえできるようになりました。


【エジプト】 反発したのが、やっぱりエジプトです。エジプトはこの地域では、アラブ地域のリーダー的存在です。そこに1952年エジプト革命が起こった。


 もともとはイギリスの植民地で、イギリス寄りの国だった。それではダメだと言うことで革命が起こって、今までの王政を滅ぼして新しい政権をつくった。その後、軍人のナセルが実権を握りました。


 革命後もイギリスが絶対手放さなかったエジプトの一部がある。100年前にインドに行く近道として掘ったもの、スエズ運河があったんです。これだけはイギリスは手放さなかった。しかしナセル大統領はそれを国有化した。エジプトがエジプトにあるスエズ運河を国有化するのは当たり前じゃないか、と言うわけです。今までは、その当たり前のことが当たり前じゃなかった。イギリスのものだった。

 そこからエジプトとイギリスの戦争が始まる。これが1956年のスエズ戦争です。するとその隣のイスラエルがイギリスの味方をして、エジプトを攻撃してくる。イスラエルの後ろにはイギリスがいるからです。こうやってまたイスラエルとアラブの対立になります。約10年前の第一次中東戦争と同じなんです。だからこれは第二次中東戦争といいます。

 イギリスが後ろについているから、戦争やってみると圧倒的にイスラエルが強くて、軍事的にはイスラエルが勝つんだけれど、これどうですか。勝ったイスラエルに対して国際世論は、なんだこれは、戦争して強ければ人の土地でも奪っていいのかという反発が起こる。

 そうするとイスラエル寄りだったアメリカが、ここでイスラエルに応援したらちょっとまずいなあ、ということで、これをアメリカは、そうですよね、皆さん、と逆にエジプトを支持するんです。
 ここでイギリスとアメリカが割れた。しかしイギリスの時代はすでに過ぎている。もうアメリカに覇権が移ってる。イギリスはアメリカにタテつけない。
 それで結局、戦争では負けたエジプトが、外交的に勝った。だからスエズ運河は、今はエジプトのものです。エジプトのナセル外交が勝利を収めた。

 しかしイスラエルはこれに不満です。10年後には突然奇襲攻撃をかける。圧倒的な強さです。そういうことがもう一回起こる。これが1967年の第三次中東戦争です。


【米ソ接近と中ソ対立】
 では次です。戦争が終わったと思ったら、勝ったもの同士がまた対立し始めた。アメリカとソ連です。このソ連も独裁国家ですから、一人の独裁者が死ぬと、国の方針がその死によって180度変わっていく。ソ連の独裁者はスターリンです。彼が大戦終結から8年後の1953年に死んだ。レーニンの死にもいろいろな噂があるし、このスターリンの死にもいろんな噂がある。それまで戦後8年間は、ほぼ独裁状態でアメリカと対立してきた。
 
※ スターリンが暗殺されたと思われる理由の一つは、スターリンは国際金融家たちが目指すグローバルな利益ではなく、ソ連の国益を守ることに心血を傾けるようになったからだと思われます。(馬渕睦夫 「国難の正体」)

 その3年後の1956年にスターリンの後を継ぐリーダーとして選ばれたのが、フルシチョフという人です。

 スターリンは米ソ対立路線だったけれども、このフルシチョフは米ソ協調路線に方向を変えた。そして対立していたスターリンの政治に対して、スターリン批判というのを行った。これは同時にソ連の方向転換でもあります。
 今までは米ソの首脳会談とかありえなかった。しかしここでアメリカとソ連の首脳同士が話し合うことになった。

 アメリカの大統領はこの時アイゼンハワー大統領です。1回でできた人です。第二次世界大戦の将軍として出てきました。何という上陸作戦の最高司令官だったか。ノルマンディー上陸作戦の最高司令官だった。これでドイツは負けたんです。その後、アメリカの大統領に選ばれます。


 米ソの首脳が歩み寄った。しかし、今まででアメリカとの対立路線をとっていたもう一つの国があるんです。アメリカなんか大嫌いだ、資本主義は大嫌いだ、それが中国です。今まで仲間として同じ共産主義を取ってきたソ連が、なぜ急に寝返ってアメリカに近づいているのか。

 今度は、ソ連と中国が仲が悪くなり始める。これが中ソ対立です。共産陣営同士が対立する。しかしこれがアメリカの狙いだったという話もある。それはよく分からない。分からないことは言うなと人はいうけれども、人が外交で秘密裏にやっていることが完全にわかるまでには、100年とか150年とかザラにかかる。その間黙って待っていていいかというと、誰かが調べないと分からない。誰も調べなかったら永遠にわからない。


【東西冷戦の構図】
 大まかな戦後体制はここで決まりました。日本人としてまず1番目にラインを引くところは、太平洋の虹のかけ橋とアメリカがいう日米安全保障条約です。軍事同盟関係ですね。

 日本だけがアメリカの味方だと思って安心していたら大間違いです。日本と韓国は仲が悪いです。ここ2~3年、ますます関係が悪くなった。アメリカはこの韓国とも同様に米韓相互防衛条約を結んでいます。防衛がついています。軍事同盟です。アメリカは韓国とも軍事同盟を結んでいます。

 日本人が見る世界地図が勘違いしやすいのは、日本人だからこう書いてあるのであって、本当の世界地図というか、ヨーロッパ人が使っている世界地図、アメリカ人が使っている世界地図はこうなっていません。そのことは知っておかないといけない。
 アジア大陸とアメリカ大陸が逆になっているのが彼らの見る世界地図です。太平洋がまん中ではなく、大西洋がまん中になっている地図です。この地図を見ると、世界情勢がよく分かります。アメリカのワシントンから西側・東側陣営を見ると、ソ連側の東側陣営は、ソ連・中国・モンゴルは東側の大半を占めています。そこにちょこんと日本がある。こんな感じです。この地図を見て、西側・東側というんです。


 これを見ると分かるように、一歩間違えば日本は共産陣営になっていきます。だからここに線を引いて、日本をブロックをしておかないといけない。これが極東の防壁ということなんです。だから日本は守らないといけない、ということなんです。日本のためではなく、これはアメリカの利益のためです。日本は極東の防壁となって、アメリカの利益を守らなければならないことになっている。


 では東側がつぶれてしまえば・・・前にも言ったけど・・・この位置づけは180度変わる。これが平成30年間で起こっていることです。今アメリカにとって日本は、以前ほど重要じゃない。そうなったとたんに日本の景気ががっくり悪くなった。経済成長も急に止まった。この因果関係もはっきり分からない。



 日本は、少なくともここ70年間は戦争をおこしてないけれども、世界はそうじゃないです。いろいろな戦争があっている。


 大きいところは、このベトナム戦争

 それから、今いった中東戦争、1次から4次までです。
 核戦争の危機に陥ったキューバ危機は、このあと言います。1963年です。

 世界は、赤と青の陣営の対立です。これが東西対立です。日本人が見る地図だったら分からないでしょ。東西対立になってない。もう一つの地図で見ないといけない。その地図で見たら東西になる。世界の標準の世界地図は、世界の8割方はもう一つの地図です。我々が日本人だから便宜的に、今の地図で見ているだけで、どっちが便利かといったら、もう一つの方が便利だと思う。そうでないと解釈し直さないといけない。頭を整理するときに、90度また回転し直さないといけない。


【アジア・アフリカ会議】
 では米ソが終わって、東南アジアにいきます。東南アジアは植民地でした。ここは2度と植民地になりたくない。その植民地から独立した一番大きな国というのがインドです。首相はネルーです。

 有名な独立指導者ガンジーは殺されるんですよ。本気で政治やると反対派から殺される。生半端な気持ちでは政治家になれない。でも今は政治家になり手がなくなってるんですけどね。政治家になるには命よりも大事なものをもっている人がいい。最近ある政治家が、今までさんざん自民党を批判しながら、立場が悪くなるとコロリと自民党に入りました。ビックリしました。政治家に信念がないとこうなります。今の日本の政治家には信念など、あって無きがごときものに見えます。

 中国の周恩来、彼は首相です。会議を行って、合意して発表したのが、これ政治経済でもやりましたが、平和五原則です。植民地禁止ということです。主権の尊重というのは、植民地にするな、ということです。各国の主権を守れ。国家で一番大事なのは主権です。その一番大事なのが失われたのが戦後の日本です。これは国として一番大事なものです。主権のない国民は無責任になります。国として一番大事なものを失うと、国民もダメになるのです。

 これは人生で一番大事なのは、自分の命だと思っていたら分からない。人生で一番大事なのは、命ではなくて人権だと考えると分かる。それでも分からなければ、プライドと置き換えてもいい。一番恐いことは、このプライドのない人間が政治権力を握ることです。

 国家があって食い物さえあれば、それで人の命が生きながらえると思っていたら、大間違いです。そんな国はないです。国の主権が守られないのに、国民の権利が守られる、そんな国はありません。生物学的には命が大切でも、社会的に大事なのは権利なんです。


 次は東南アジアです。1954年です。今度は、インドネシアのバンドンです。インドネシアが中心になって、旧植民地の合同会議を開く。旧植民地とはアジア・アフリカです。アジア・アフリカ会議といいます。
 何が珍しいかと言うと、今まで国際会議というのは白人の会議に限られていた。しかしこの会議には白人はいない。有色人種だけの国際会議を開いた。今からやっていくぞといって、2回しか開かれずに潰されるんですけど。略してA・A会議という。アジア・アフリカのどっちもAがつくからです。


 ここで何を決めたか。アメリカは嫌いだ、ソ連も嫌いだ、どっちの味方にも入らない。アメリカでもなくソ連でもない。これを第三勢力という。どっちの味方でもない。俺たちは俺たちだ。狙いは主権の維持です。

 オレが決めることに他人がとやかく言わんでくれないか、オレは考えて自分でやっているんだ、ということです。その代わり、自分でちゃんと迷惑かけないで生きていく。そういうことを言った。君たちは言えますか。言えたら独立していいです。

 非同盟の立場で連携していこうということです。旧植民地同士で。


【アフリカの独立】
 その後のアフリカです。まだアフリカは独立がちょっと遅れてる。一部独立国があったんだけれども。まだ植民地状態ですけど、そういうアジア・アフリカ会議、主権を尊重しようという動きの中で、白人が下に見ていた黒人国家の中からも、指導者が現れる。エンクルマという。こういう名前なんです。人の名前はいじれません。ガーナが独立する。1957年です。次の1958年にギニアが独立する。小さな国ですけど。

 そして1年置いて1960年に一気に17カ国がバラバラ独立しながら、1年間で17ヶ国が独立していく。世界はアッと驚く。これを記念して、1960年は「アフリカの年」といわれる。基本は植民地反対主義です。領土主権ですね。
 
▼アフリカの独立


 ただ政治経済でも言ったように、国を支配するには、土地の支配だけではない。お金を支配したら支配できる、という手法もある。現代はそこまで考えないといけない。


 お金の蛇口を止めたり閉めたりするのは、どこなのか、ということを。こうやって巧妙化していくんです。支配の形も。


 これを見ていくと、この地図が独立している国です。赤と青で。ほぼこれくらい独立していく。赤は旧イギリス領です。青は旧フランス領です。


 これを囲んでみると、旧イギリス領はこれからあと、モザンビークから、ボツワナから、南アフリカ、ジンバブエ、これだけ。次はこの地図からいきます。

 これで終わります。ではまた。















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