ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい。
2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

「授業でいえない世界史」 52話 戦後 1960年代

2019-05-28 06:00:00 | 旧世界史13 戦後
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【1960年代】

【アフリカの独立】 戦後世界にすでに入っています。この戦後世界で旧植民地が独立していった。
 ここから1960年代に入ります。特に1960年はアフリカで17ヶ国が一気に独立したから、アフリカの年といわれます。

 イギリス領とフランス領です。赤がイギリス領、青がフランス領です。どういう国が独立したか。エジプトから、スーダンから、エチオピアをまたいで、ケニアまで。さらにタンザニアをまたいで、メインは南アフリカ共和国で、北のボツワナからザンビアまで。これが旧イギリス領です。それから、忘れてならないのが、このナイジェリアですよね。いつ独立したかよりも、どこから独立したかということの方が現状を考える上で大事ですね。いまでも宗主国として力を持っている場合がある。
 もう一つはフランスです。フランスは横断策だったから、アルジェリアを中心にモロッコ、モーリタニア、ギニアをまたいで、コートジボアールから、小さな国、中央アフリカ、ぽんと飛んで東のマダガスカル島、日本と同じぐらいの大きな島です。こういう形で独立したということです。

 第二次世界大戦は1945年で終わります。もう15年過ぎました。


【アメリカ】
 1960年代のアメリカに行きます。世界の中心はアメリカになっているんです。
 それでここからは世界を、1960年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代と大体10年ごとに見てきます。

※ 1961年、アイゼンハワー大統領は退任演説において、肥大化する軍需産業を「軍産複合体」と呼び、警告を発しました。軍産複合体の典型的な会社として、ロッキード社(航空機)、ボーイング社(航空機)、レイセオン社(ミサイル)、ダウケミカル社(化学)、デュポン社(化学)、ゼネラル・エレクトリック社(電気)、ノースロップ・グラマン社(軍艦・人工衛星)、ハリバートン社(資源生産設備)、ベクテル(ゼネコン)、ディロン・リード社(軍需商事)などがあり、またスタンダード石油に代表される石油メジャーも含まれることがあります。(宇山卓栄 経済)

 1960年代、アメリカの大統領は誰か。ケネディです。1961年からです。この時には、南ベトナムと北ベトナムの対立が非常に激しくなっている。

 北ベトナムは社会主義国です。それが優勢なんです。アメリカは資本主義国の親玉です。親玉として社会主義国の発生を許すことができない。ではもともとベトナムはどこの国の植民地だったか。フランスの植民地だったんです。これは日本の動きとも絡んでいる。戦前の日本もここに進駐いた。

 しかしアメリカが、社会主義の拡大を防ごうと、フランスを支援している状態です。それで分が悪くなった社会主義政権の北ベトナムは、それでもあきらめずに本気で戦っていく。これがゲリラ闘争です。正式名称でいうと、南ベトナム解放民族戦線を結成する。北の勢力が南にも及んでいくということです。


 アメリカは南ベトナムを応援してる。政権はゴ・ディン・ジェムいう政権です。北と南でベトナムが割れてる。これは資本主義と社会主義の対立だということです。


 日本は関係なかろう、ではない。枯れ葉剤をボンボン蒔いていく米軍機が飛び立ったのは沖縄の米軍基地からなんです。日本の基地がものすごく重要です。日本は関係ないどころか、大ありなんです。日本人が空爆したわけではないけど、アメリカにそうやって利用されているんです。


【キューバ危機】 その最中にもう一つ、1962年キューバ危機というのが起こります。キューバというのは、アメリカの目と鼻の先にある島です。


 アメリカのすぐ南のカリブ海、その海の一番アメリカに近いところに浮かぶのがキューバです。そこは、もともとアメリカの半植民地のような国だった。アメリカに支配されていた国だった。しかしそこで革命が起こる。アメリカの支配は嫌いだと言った。これがカストロです。4~5年前に亡くなったんですけれども。


 それでキューバは、ソ連寄りになっていく。ソ連とアメリカは戦後すぐ対立し始めて、1960年代になるとその対立が一番激化していった時代です。そのキューバが近づいたソ連が、アメリカに一番近いキューバを手に入れた。これを利用しない手はない。それでソ連はキューバに核ミサイル基地を建設しようとする。


 この情報をいち早くキャッチしたアメリカ軍は、ソ連から運ばれてくる核ミサイル基地の建設資材を、実力で海上封鎖してストップする。とても危険な行動です。


 アメリカとソ連はお互い核をもっている。軍艦同士が、通せ、通さないで、核戦争勃発か。その直前まで行く。核戦争の危機です。この時に腹くくったという人もいる。日本人は、その時ポカーンとしているだけです。


 アメリカのある軍当局者は書いている。その時に、明日がないかも、と腹くくったと。こんな事は事件から50年ぐらいたってから公開される。アメリカのケネディが、ソ連に対し建設中止を要求し海上封鎖を行った。ソ連のミサイル輸送を阻止しようとした。


 通せんぼしているところで、アメリカが1番胃が痛くなるような瞬間は、通せんぼしているときに、ソ連の軍艦がどんどん近づいてきて、強行突破しようとすればホントに核戦争です。動くかな、動かない、追突か、パッと変わる。最後はフルシチョフの判断です。この時にはソ連の最高指導者はフルシチョフです。そのフルシチョフはキューバのミサイルを撤去した。


 この教訓で震え上がった世界の首脳陣たちは、このままであればいつ全面核戦争が起こってもおかしくないと実感した。

 核というのは、相手国だけを殺す武器ではない。死なばもろともです。大気汚染から何から、何千キロだって放射能は大気上を流れてくる。それが今後の課題として大きく意識された。

 しかし同時に、アメリカは宇宙開発に血筋を上げていく。アポロ計画といいます。この宇宙計画は、人間が月面着陸したとか、その人間の偉業を称える、とかよく言われるけれども、本当の目的は軍事目的です。宇宙開発は軍事目的です。宇宙の大気圏外からミサイルを落とす。地球の裏側まで落とす。そういう核開発です。
 だからその証拠には、月の開発、月に人間が住めるとか言って、1964年に月面着陸したんです。しかし2度と行ってない。
 そんなものはもともと目的じゃない。本当は軍事目的です。日本のマスコミは言わないけど、軍事目的です。宇宙空間のどこかで、無重力状態で植物に根がはえたとか、それは小さいことです。本当の目的は軍事目的です。


 それから、オレたちはアメリカの仲間に入らないという非同盟諸国、アジア諸国です。そこにアメリカが援助する。ということは下心丸見えですよ。オマエたち、そう言わずに、オレとつきあえよ、悪いようにはしないぞ、とアメリカは言います。
 こういうことを10年、20年、30年スパンでやっていくんです。ということは、あれだけ60年代で活気づいていた東南アジアの非同盟運動は静まっていく。そんなことするよりも、アメリカからのお金つまり援助金もらった方が早いぞ。いつの間にか聞かなくなる。


【公民権運動】 それから、アメリカ社会は最近まで奴隷社会だということも大事でする。100年前リンカーンが奴隷解放宣言を出したじゃないか。あれは形だけです。本当に差別を無くしてくれよという運動が黒人の間に起こる。これを公民権運動といいます。黒人には選挙権などの公民権がまだ実質なかったからです。みんなに公民権やれよという運動です。反対しようがないんだけれど、黒人にはないんです。このリーダーがマーティン・ルーサー・キングという。


 お坊さんです。キリスト教の牧師さんです。彼が説教をしながら、何万人という聴衆の支持を受けていくんです。このあと、公民権運動によって、黒人の人権が認められるんだけれども、アメリカにつきものは暗殺なんです。このキング牧師は1968年に殺される。


【ケネディ暗殺】 そして大統領のケネディもまた殺される。1963年ケネディ大統領暗殺です。アメリカの大統領はよく殺される。暗殺率の高さのナンバーワンはアメリカ大統領です。暗殺の理由は、財務省証券という政府紙幣を発行したからだといわれますが、犯人は捕まらない、というのがいつものアメリカのパターンです。南北戦争の時、グリーンバックという政府紙幣を発行したリンカーン暗殺もそうでした。捕まっても、本当に犯人かどうかがわからないうちに犯人が殺されたりする。口封じです。犯人はオズワルトです。彼は、オレがやったという。でもウソッぽい。それで別の人物に射殺される。しかも警察署のなかでです。警察署の中で、犯人が部外者の人間にピストルで射殺される。これはどう見ても口封じです。
厳戒の警備の中、白昼堂々と大統領を暗殺するといった犯行はどこかの情報機関の協力がないと不可能です。今もその時の写真はネットで検索すると一発で出てきます。その瞬間が。しかし本当の犯人はわからない。 

 ただアメリカ政府は、この事件の公文書を2039年には開示するといっているんです。分からないなら開示できないでしょ。開示するとは、どういうことか。分かっているんです。あと20年後、私はもう死んでるかも知れないけど、君たちはまず見れる。しかと見てください。とんでもないものが出てくるはずだから。100%は公開しないはずですけれども、80%ぐらいは公開するでしょう。


 キューバ危機という全面核戦争の危機を受けて、1963年には部分的核実験停止条約、つまり核実験を停止しましょうという条約がアメリカ、イギリス、ソ連の間で結ばれる。アメリカは何百回と核実験して、データを収集した後です。まだ実験途中であったフランスと中国は、おまえたちが実験が終わったからと言って、なんで急に中止するか、という話になってもめる。オレにも持たせろ。それまで待ってくれ、ということです。

 核さえ持っていれば百人力です。主要国は自分の持つ核兵器を破棄しようとは決して言わない。自分は核兵器をし予示したまま、他国が新たに核兵器を持つことを禁止しようとしている。これは核兵器の独占を狙っていることです。核兵器はなくなった方が良いけれど、核を一部の国が独占したままにすれば、それらの国が世界を動かしていきます。それは非常に危険なことです。
 今年、中距離核兵器削減条約もアメリカのトランプが破棄したばかりです。今度は逆に中距離核ミサイルを逆に開発する、ということになった。
 アメリカは、自分たちの持つ核兵器を捨てることなど全く考えてはいません。



【キューバ革命】
 前後したけれども、さっきでできたキューバ革命です。アメリカのすぐ南にある島キューバ、そこで1959年キューバ革命が起こる。

 指導者はカストロです。カストロ政権が誕生した。キューバというのは、もともとはアメリカの従属国です。半植民地のようなものだった。アメリカの言う通りにしていた国です。その国のリーダーをバティスタという。民衆の言うことは聞かない。アメリカの言うことだけ聞く。民衆は黙っていろという独裁政権だったんです。


 カストロは、それじゃいかん、ということで、アメリカではなくてソ連に接近した。この情報をかぎつけたアメリカは、キューバのある港、ピッグス湾というところで、カストロの革命を潰そうとしたんだけれども、これには失敗します。
 そこでキューバはアメリカの保護下を抜け出して、社会主義宣言を行っていく。


 この社会主義の親玉がソ連です。つまりアメリカとの絆を絶って、ソ連側につくということを表明した。そしてさっき言ったソ連がそこに核ミサイル基地を作ろうとしたところから、1962年キューバ危機が起こっていくわけです。最終的には核戦争直前のところでソ連が譲歩した。もうハラハラドキドキの緊張の一瞬です。


 このことを本当に意味がわかっていた日本人は非常に少なかった。私もまだ鼻垂れだったからわかりません。3つ4つぐらいだから。当時の日本人が、これにどのくらい無関心だったかということを、私は高校の時の先生から聞いたことがある。その高校の時の先生は、自分が20歳の時だったと言った。自分はどきどきして、核戦争がいつ起こるかとビクビクしていたけれども、周りの友人たちは平和なもので何も思っていない。これでいいのかな、と当時の状況を聞いたのを覚えています。


 それでケネディは殺された。暗殺された。そうすると副大統領が大統領になる。こういった場合には選挙なしで米国副大統領が横滑りで大統領になる。これをジョンソン大統領という。


 そのケネディが殺された理由は、ベトナム戦争関係ではない。ただベトナム戦争でお金がないということと関係している。ケネディは自分で政府紙幣をつくったんです。政治経済で言ったかもしれませんが、お金は日本もアメリカも政府が発行しているのではないです。ではどこが一万円札を発行しているか。政府ではなくて、中央銀行です。日本で言えば日本銀行です。ケネディーはこれを中央銀行を介さずに、自分で政府自ら行った。でもお金の発行に触れるとよく大統領が死にます。


 そこらへんが2039年に公開されるかどうかなんでしょうけど、どうなるかまだわかりません。


【ベトナム戦争】

 このジョンソン政権は、そのまま北ベトナムへの空爆を続けていきます。北ベトナムが社会主義国です。だからここを攻撃します。

 そのゲリラ闘争している北ベトナムに対して、本格的にアメリカが参戦していくわけです。その参戦するきっかけが、1964年トンキン湾事件です。ベトナムの北部ににトンキン湾というちょっとした小さな湾があるんです。この湾の中に停泊していたアメリカの軍艦が、突如爆破される。そして沈没する。これは北ベトナムの仕業に違いないということで、アメリカが北ベトナムに宣戦布告していく。しかし戦争が終わったあとに、アメリカの軍艦を爆破させたのはアメリカの海軍自身だったということが分かる。つまりこれはアメリカの自作自演なんです。北ベトナムの仕業にして戦争したかった、こんなことをするんです。これはのちのアメリカのマクナマラ長官が、そのことを認めている。


 ただこの時にはそういう真実はわからないから、北ベトナムは憎い憎いヤツだ、卑怯な手を使うヤツだ、ということで、アメリカ軍は北ベトナムを空爆していく。これを北ベトナム爆撃だから略して北爆といいます。これが1965年です。
 この時から本格的にベトナム戦争が開始されていく。B52戦闘爆撃機がベトナムに向かって飛び立つ場所、それが日本の沖縄の米軍基地なんです。
 爆撃もやるけれども、このあと歴史に汚点を残すのは枯葉剤攻撃です。森林を枯れさせるために枯葉剤をまく。それだけならまだしも、ジャングルの下には、いっぱい人間が住んでいる。その人間たちの遺伝子まで枯れ葉剤によって侵していく。そのあとはベトナムには奇形児がいっぱい生まれてくる。戦争に関係のない赤ちゃんまで犠牲になる。このアメリカの非人道性が問題になる。


 ではアメリカと戦ってる北ベトナムはというと、ソ連からの支援を受けている。社会主義国ではナンバー1がソ連、ナンバー2が中国です。ソ連と中国からの支援を受けていく。
 アメリカはというと、史上最大の50万人以上の戦闘員を投入し、さっき言った枯葉剤作戦をしていく。非常に非人道的な作戦をやっていく。そこまでしてもアメリカが勝てなかったというのが、ベトナム戦争です。


【アメリカの挫折】それまでアメリカは、偉大な社会の建設、そんなことを言ってた。アメリカは偉大な国家だ。自分たちの手で偉大な時代をつくっていくんだ。そのウソがばれてしまった。
 まずベトナムでつまずく。お金が足りなくなる。黒人には差別がある。その要求に押されて公民権法を制定したのが、1964年。黒人差別を禁止していく。しかしその4年後の1968年にはその指導者であるキング牧師が暗殺されます。


 ベトナム戦争はアメリカが不利のまま、なかなか終わろうとしない。アメリカ人たちは早く終わればいいのにと反戦気分が高まります。若い人たちを中心にベトナム反戦運動が起こっていく。しかもこれが年々激しくなって、世界の一等国アメリカにも、戦後約20年でぼちぼち暗い影が差し始めた。アメリカのピークは1960年代です。そこからは下り坂です。


 次のことをちょっとだけ言うと、1970年代になるとドル・ショックが起こる。アメリカのドルなんか使えるか、というふうになる。ドルの価値がどんどん落ちていくんです。ピークを過ぎる。あんまり威張って、ベトナムなんかやっつけてやるというと、おおごとする。ただ日本はアメリカの核の傘に隠れている国だから、アメリカが追い詰められると、必ずそのツケは日本に回ってくる。日本はそのアメリカが嫌いだったけど、戦争して負けたから、今こういうふうになっている。
 その後はアメリカのツケは日本にまわってきます。


【東欧】
 そのころ1960年代に、ソ連側についた東ヨーロッパの社会主義国はどうだったか。国の名前としてチェコスロバキア、今はチェコとスロバキアという二つの国になっているけれども、この時は一つの国なんです。第二次世界大戦後、社会主義国体制になっていく。しかし独裁的で民主的じゃなかったから暴動が起こっていく。反政府運動が起こっていく。首都の名前を取ってプラハの春という。1968年です。チェコスロバキアの首都がプラハです。これを起こした中心人物がドプチェクです。民主革命が起ころうとした。そのやさきに親分のソ連が出てきて潰す。ソ連が出てきて弾圧します。
 今はソ連は潰れたから、ソ連の悪事というのはよく教科書に載っているけれど、アメリカもソ連も、やっていることはたいして変わらない。


【中ソ対立】
 では中国です。中国はソ連側ですね。ソ連が親分で、ナンバー2が中国です。

 そこで1960年代から、これじゃいかん、もっと頑張らねばと、1966年から文化大革命が起こる。こういうとわからないんです。文化大革命とは、文化とは名ばかりで、徹底した社会主義路線です。その徹底した社会主義路線を取ろうとしたリーダーが毛沢東なんです。しかしこれは戦後すぐからうまくいっていなくて、国民が飢え死にするぐらいの悲惨さなんです。

 それで、ソ連はフルシチョフがアメリカに接近したということを、前の時間に言いました。1950年代、資本主義を取り入れようとして、ソ連がアメリカに接近した。中国もうまく行ってないけれども、これには賛成しないんです。この弱腰がと、歯を食いしばってでも頑張れ、と言うんです。社会革命を成し遂げたら、あとは飢え死にしたって頑張ろうと、よく訳の分からないことをいって批判した。だから中国とソ連が方針が合わなくなるんです。ソ連はアメリカ側寄りにちょっとシフトした。中国は社会主義をそのまま守ろうということで、これを批判する。だからアメリカとソ連の米ソ対立の上に、中ソが対立した。

 世界のルールは、意外と単純で、敵の敵は何になるか。敵の敵は、敵になるか、味方になるか。敵の敵は、味方です。米中が手を組めば、ソ連は潰せる。

 こういうイメージ、ちょっと見ててください。こういうのを分かったら、策を読めるでしょ。だから分からないようにしていく。囲碁でも将棋でも、自分の作戦が相手に分かったら絶対に勝てない。だから分からないようにしていく。あとから追いかけて行く者は、表面の言葉だけを追っていても、絶対に分からない。ホンネはどこかというのを考えないと分からない。歴史なんかは。特にここらへんは。
 将棋を打つ前から、オレはこんな作戦でやりますと言って、その通りするバカはいない。勝負というのは、自分の作戦を見せないでしょ。バスケットでもバレーでもそうです。政治も基本的にはそうですよ。

 中ソ対立ということです。

 しかしこの文化大革命は結局、死人ばかり出して、うまくいかない。

だからどんなことするか。夜中に、トントンと秘密警察が家をノックして、こんばんは、お父さん出してください、お父さんが出てきたら、そのまま警察に取り囲まれて、連れて行かれて、何年待とうと帰ってこない。私は、ある中国人から直接そのことを聞いた。うちのお父さんは、あれ以来帰って来ない。いつのことですか。もう20年ぐらい前のこと。そのとき40歳ぐらいの女の人だったですけど。こんなこと世界ではいっぱい起こっています。

 そのリーダー毛沢東が1976年に死んだ。そこから中国の方向が変わっていく。変わるということは、中国はソ連寄りではなく、逆にアメリカ寄りにシフトしていくということです。


 その動きが1970年代後半です。アメリカ側にシフトしていく中心人物、この人が今の中国を作りかえていった。小柄な風采の上がらない男だったけれども、これが鄧小平です。彼が中国を変えていく。2回牢屋に入る。3回目のチャレンジで国家の最高指導者になる。正式な肩書きはつかないけど、誰が見てもこいつがドンだと分かる。
 本当のドンは、飾りの権力者を上に立てたりする。自分より見かけ上偉い人を立てて、それを操ったりする。しかしみんな、それが一番上の人物ではなくて、その下にいるのが本当の実力者だというのが分かる。鄧小平というのはそうやって権力を握る。


 こういうパターンが時々あるから。最高指導者とみせて、実は別の最高指導者がいたりする。それが鄧小平です。彼による改革が、1970年代後半から始まります。
 これで終わります。ではまた。

















コメントを投稿