今日は彼の話をしましょう。
彼は営業マン。実直で朴訥、おべんちゃらの一つも言えない真面目な営業マン。
営業成績は、決して自慢できるものではなかったけれど、お客さんが困ったときには、いやな顔一つせず対応したので
頼りにしてくれる顧客も少なくなかった。
ある日、本社から「T営業所の立て直しに営業所長として転勤」の辞令があった。
T営業所に行ってみると、顧客管理・勤務体系など問題点が山積みだった。
彼は、小さなことから、手を付けていった。
改革が売り上げに反映されるまでには時間がかかったが、手ごたえはあった。
彼がT営業所に来てから2年が経とうとしていた。
また、本社から「N支店の業績が振るわないので、戻って、建て直せ」との辞令がきた。
T営業所の成績は徐々に回復しつつあったので、あと1年は残って結果を出したかった。取引先との信頼関係、営業所に勤める部下との関係もやっと築き始めたところだったが
彼はN支店に戻った。
N支店の管轄営業所は4つ。
その4営業所をまとめる仕事。
N支店には支店長がいたが、お飾りの支店長で、社長のご機嫌を取るだけの支店長は頼りにはならなかった。
会社は、全国展開の商社で創業100年以上の会社だった。
同族会社で、代々、血族で受け継がれていた。
現社長はワンマンで、周りの諫言を聞く耳を持たなかった。
会社の行く末を案じ、社長に進言した社員は、ことごとく迫害され、地方に飛ばされた。
N支店に戻った営業マンは4つの営業所の中心となり、改革に乗り出した、はずだった。
その日、N支店での会議には社長も同席していた。
現場の実情を知らずに的外れな指摘をする社長に対し、営業マンは、各営業所の代表として意見を述べた。
自分の意見を否定された社長は怒り狂った。他の社員は口を固く閉ざし、その提案は営業マン一人の個人的なものとなってしまった。
その日以来、営業マンは、「仕事のできない社員」のレッテルを貼られた。
タカタかは3年前位から 人工関節が落ちてきてしまい自骨を圧迫してこのままでは切断しかないとまで言われました。(´;ω;`)ウッ… なんとか止まって今は破壊され始めた自骨も再生されていると先日の定期健診でいわれ(でも将来的には 期待薄らしいです。)ほっと一息です。外へ出る時は太ももから大きな装具をつけています。 それでもう接客業的な仕事 コンビニも含めダメです。私が元気なうちは良いけれど 還暦すぎると 色々堪えますね。(苦笑)今はfacebookで自分史のためにアップしています。
タカタカ君のこと、ずっと気になっていました。
再発の不安だけでなく沢山のご苦労を抱えておられることと思います。
今はコロナで余計に大変です。うちの息子も就職先のホテルを2か月で解雇になりました。
いつか彼らにあった仕事が見つかるまで、家族で支えていきましょう。
お母さん、頑張って!
げんじつは 厳しい
な~~んてほんとに分け分からない日本ですね。
息子も大きな装具つけるようになって もういくつも接客業首になったし コロナ禍もあるのでしょうが 仕事もなく2年が経とうとしています。心が折れないかそれだけが心配・・・・( ノД`)シクシク…予後が大変....今になって皆様の言葉身に染みています。