三途の川を渡ろうとしたとき、後ろから自分の名前を呼ばれて振り返ったら病室で目が覚めた。そういう話を聞いたことあります。
娘の臨終のとき、友人が娘に向かって名前を呼び続けてくれた。
私は、名前を呼び続ける友人の声を遮った。「もういいよ。」
娘はよく闘った。これ以上苦しみ続けることはない。
私は娘の魂を手放した。
娘が麻酔でこん睡状態になったとき、ベッドのそばに一人で付き添っていた。
機械の音だけが響く静かな病室の中、痛みや苦しさから解放されて、すやすや眠っている娘。
ほっとした安堵感と、どうしようもない寂しさが入り混じって泣いた。
最近、ふと、あの時、娘はどう思っていたのだろうかと考える。
それでも「生きたい!」と思っていたのではないだろうか?
「楽になる」それは周りの人間が想像しているだけで、当の本人たちはそんなこと願っていないのかもしれない。
「生きていくことは死ぬよりつらいことだ。」そう思える日もあるかも知れない。
死は、誰にでも訪れる。いつか必ず訪れる。
その日まで、生きていかなきゃならないなら、どうやって生きていくかは自分で選びたい。
私は、ある薬がなければ、たぶん父と同じ病気で亡くなっていた。この薬で症状をコントロールできるようになったのは10年前。
奇病・難病として原因がわからずに、いろんな病院を転々としていたとき、偶然が重なり、若い医師に出会った。
その医師に出会って初めて、自分の病気が何なのかを知り、症状をコントロールする方法を知った。
副作用もわかっていないし、それは治療薬ではなく症状を抑えているだけなので、いつかは負けてしまうかもしれない。
それでも、娘を看取ることができた。その後も、娘の生きた証を残そうと悪あがきをしている。
それでも生きていく。