暇だと暇でぼやき、忙しくなれば、なったで、やはりぼやいております。
まだまだ生活はおびやかされないぞ!という安心感と疲労感が交互に押し寄せてます。
当たり前だが、働いた分しか収入はないわけで、作って作りまくって初めて収入へとつながるわけで、接客時間が増えて作る効率が悪くなる夏のハイシーズン中は、モノが売れることがイコール喜びとは限らない。「ああ、仕事しなきゃ。」と、気が焦る。それでも売れないのも悲しいので、すごく複雑な心境。が、とにかく今は、日々健康管理に気をつけてシーズンオフまで乗り切ることを目標にして、規則正しい生活を淡々と送るように心がけているわけです。
で、で、ですが、どうして?こうして?夏休みというシーズンは、音楽フェスにしろ、美術館の催しにしろ、そそられるものが集中するわけですわ。今回、鹿児島で美術館関係の催しが目白押しだったので、ちょっと無理して定休日の連休を利用して行ってきました。(相棒氏と日程を微妙にずらして)
1日目は、霧島アートの森で「三沢厚彦展」を観る。
クスノキを彫りだして作った彫刻の動物たちは、以前名古屋での展示で観たことがあったので新鮮な驚きはないのだが、展示の方法が違う為、印象がかなり変わってみえた。やっぱりうまいなあ。この人。モデルあっての作品作りは、似せて作りがちなんだけど、自分の中で消化したうえでの制作だから微妙なバランスで完成。器用だなあ。体力勝負のでかい作品作りも楽しそうだ。立体もいいんだけど、最後のコーナーの、適当にそこらへんに転がってる材料(段ボールなど)に描いたドローイングが観れたのが良かった。ああ、こんな感じなんだ。ふーん。いいなあ。パレットも適当なその辺に転がってる板とか、段ボールとか使ってるんだよね?この辺は、自分も一緒だわ。と、妙に親近感を感じたりした。いひひ。
交通の便が悪いので、1日目はこれで終了。
2日目は、影絵作家「藤城清治展」を観る。
この人の作品は、子供の頃家にあった「暮らしの手帖」に載っていて、記憶にすり込まれている。子供の頃(小学生?)「暮らしの手帖」は、電化製品の使用比べなどが大好きだった記憶がある。はじめて観る原画。印刷された絵ではなく、光を通してみる世界。気のとおくなる細かい作業で作られた作品は、きっと高度な技術を要するのだろうが、そういうことよりも、この人の熱い想いやパワーが伝わってくるのが意外だった。随分お年を召した方なんだけど、もちろん現役で、パワフルで、こっちが恥ずかしくなる思いだった。ぼやぼやしてちゃいかんな。と。しかし、影絵ってステンドグラスに似てるのね?普通の絵と違って、部屋の窓ガラスとか、建物の中に埋め込んで日常的に観るのがすごく似合っているような気がした。病院とか。教会で人を癒すように、ステンドグラスと同じで、心が豊かになる。暖かくなる。しかも手作業ってところが、またいいのだろうなあ。ああ、すてきなアナログ世界。
そして、続いて「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」を観る。
毎度おなじみ見慣れた巨匠たちの作品群。ああ、久しぶり。って感じ?いやいや、恐れ多いんだけど。
美術の世界って、実にいろいろな流れがあって、いろんな画家たちが試行錯誤しながら作品を世に残していってくれたから、こうして今観れるんだなあ。アートがどうとか?作家はこうあるべきとか?自称アーチストが多すぎるとか?レベルが低いとか?
高いとか?売れる?売れない?まあ、実にいろいろ言う人も多いけど、関係ないね。自分が面白い!良い!と、思うモノを観たり作っていくことが楽しいね。
ああ、充実した2日間だった。
さーて、地獄?修行?の日々がまた始まりました。
次なる人参目指して頑張ります
まだまだ生活はおびやかされないぞ!という安心感と疲労感が交互に押し寄せてます。
当たり前だが、働いた分しか収入はないわけで、作って作りまくって初めて収入へとつながるわけで、接客時間が増えて作る効率が悪くなる夏のハイシーズン中は、モノが売れることがイコール喜びとは限らない。「ああ、仕事しなきゃ。」と、気が焦る。それでも売れないのも悲しいので、すごく複雑な心境。が、とにかく今は、日々健康管理に気をつけてシーズンオフまで乗り切ることを目標にして、規則正しい生活を淡々と送るように心がけているわけです。
で、で、ですが、どうして?こうして?夏休みというシーズンは、音楽フェスにしろ、美術館の催しにしろ、そそられるものが集中するわけですわ。今回、鹿児島で美術館関係の催しが目白押しだったので、ちょっと無理して定休日の連休を利用して行ってきました。(相棒氏と日程を微妙にずらして)
1日目は、霧島アートの森で「三沢厚彦展」を観る。
クスノキを彫りだして作った彫刻の動物たちは、以前名古屋での展示で観たことがあったので新鮮な驚きはないのだが、展示の方法が違う為、印象がかなり変わってみえた。やっぱりうまいなあ。この人。モデルあっての作品作りは、似せて作りがちなんだけど、自分の中で消化したうえでの制作だから微妙なバランスで完成。器用だなあ。体力勝負のでかい作品作りも楽しそうだ。立体もいいんだけど、最後のコーナーの、適当にそこらへんに転がってる材料(段ボールなど)に描いたドローイングが観れたのが良かった。ああ、こんな感じなんだ。ふーん。いいなあ。パレットも適当なその辺に転がってる板とか、段ボールとか使ってるんだよね?この辺は、自分も一緒だわ。と、妙に親近感を感じたりした。いひひ。
交通の便が悪いので、1日目はこれで終了。
2日目は、影絵作家「藤城清治展」を観る。
この人の作品は、子供の頃家にあった「暮らしの手帖」に載っていて、記憶にすり込まれている。子供の頃(小学生?)「暮らしの手帖」は、電化製品の使用比べなどが大好きだった記憶がある。はじめて観る原画。印刷された絵ではなく、光を通してみる世界。気のとおくなる細かい作業で作られた作品は、きっと高度な技術を要するのだろうが、そういうことよりも、この人の熱い想いやパワーが伝わってくるのが意外だった。随分お年を召した方なんだけど、もちろん現役で、パワフルで、こっちが恥ずかしくなる思いだった。ぼやぼやしてちゃいかんな。と。しかし、影絵ってステンドグラスに似てるのね?普通の絵と違って、部屋の窓ガラスとか、建物の中に埋め込んで日常的に観るのがすごく似合っているような気がした。病院とか。教会で人を癒すように、ステンドグラスと同じで、心が豊かになる。暖かくなる。しかも手作業ってところが、またいいのだろうなあ。ああ、すてきなアナログ世界。
そして、続いて「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」を観る。
毎度おなじみ見慣れた巨匠たちの作品群。ああ、久しぶり。って感じ?いやいや、恐れ多いんだけど。
美術の世界って、実にいろいろな流れがあって、いろんな画家たちが試行錯誤しながら作品を世に残していってくれたから、こうして今観れるんだなあ。アートがどうとか?作家はこうあるべきとか?自称アーチストが多すぎるとか?レベルが低いとか?
高いとか?売れる?売れない?まあ、実にいろいろ言う人も多いけど、関係ないね。自分が面白い!良い!と、思うモノを観たり作っていくことが楽しいね。
ああ、充実した2日間だった。
さーて、地獄?修行?の日々がまた始まりました。
次なる人参目指して頑張ります