日曜日ごとに教会に持って行く聖書は痛みやすいので、聖書ケースに入れています。
クリスチャンになりたての頃、聖書関連グッズの店で買いました。
さぞやたくさんの種類があるだろうと思って楽しみにして行ったのですが、わたしがほしいような女性向けで温かみのあるものはありませんでした。
またサイズもわたしのは小さかったので、数個しかありませんでした。
それで買ったものがこれです。
黒で飾りっ気がなくて気に入らなかったけど仕方なく使っていました。
ところが気が付くと15年以上もたちました。
軽くて丈夫で未だにほころび一つありません。いつの間にか愛用の聖書ケースになっています。
まだ十分使えるのですが、布で作ってみようと思い立ち、ここ1週間ほど早起きしたり、夜更かしをしたりして作りました。
本当は、最初に聖書ケースを買う前も「自分で作ろうかなあ」との思いが湧いたのですが、難しそうに思えて断念しました。
今回作り始めてわかったことは、こういう小さいものはとても大変ということ、加えて角の縫い目にループをはさみたいと思ったので、作業がさらに難しくなってしまいました。
毎日 「もうやめよう」「もう無理」「とんでもないことを始めてしまった」と後悔していました。
ミシンで縫うはずが針が通らず、手縫いになったことも時間がかかった要因です。少しずつ縫ったけど指が痛くなって、もう出来上がる気がしませんでした。
そんなこんなで危うく迷宮入りになる所だった聖書ケースが、やっとできあがりました。
布なので、皮のケースほど長くは使えないと思いますが、できるだけ長く使い続けたいと思っています。
それと、きっとこれからはバッグや財布やポーチを見たら、いちいち感動すると思います。
クリスチャンになりたての頃、聖書関連グッズの店で買いました。
さぞやたくさんの種類があるだろうと思って楽しみにして行ったのですが、わたしがほしいような女性向けで温かみのあるものはありませんでした。
またサイズもわたしのは小さかったので、数個しかありませんでした。
それで買ったものがこれです。
黒で飾りっ気がなくて気に入らなかったけど仕方なく使っていました。
ところが気が付くと15年以上もたちました。
軽くて丈夫で未だにほころび一つありません。いつの間にか愛用の聖書ケースになっています。
まだ十分使えるのですが、布で作ってみようと思い立ち、ここ1週間ほど早起きしたり、夜更かしをしたりして作りました。
本当は、最初に聖書ケースを買う前も「自分で作ろうかなあ」との思いが湧いたのですが、難しそうに思えて断念しました。
今回作り始めてわかったことは、こういう小さいものはとても大変ということ、加えて角の縫い目にループをはさみたいと思ったので、作業がさらに難しくなってしまいました。
毎日 「もうやめよう」「もう無理」「とんでもないことを始めてしまった」と後悔していました。
ミシンで縫うはずが針が通らず、手縫いになったことも時間がかかった要因です。少しずつ縫ったけど指が痛くなって、もう出来上がる気がしませんでした。
そんなこんなで危うく迷宮入りになる所だった聖書ケースが、やっとできあがりました。
布なので、皮のケースほど長くは使えないと思いますが、できるだけ長く使い続けたいと思っています。
それと、きっとこれからはバッグや財布やポーチを見たら、いちいち感動すると思います。
日本的なムードのある布ですよね。
実はこれ布として買ったのではなく、コンピュータケースとして売られていたものです。店員さんがとても親切だったため、聖書を入れられるサイズの物があったらここで買おうと思ったのだけど、そんなぴったりのものはありません。でもこのブランドが好きなので、少し大きめのコンピュータケースを買って、リメイクすることにしました。
出来上がったそれも新しいものをほどいて分解するのは勇気がいりました。でもそこでわかったことは、布と布の間の見えない部分にもたくさんの趣向が凝らされていて、型崩れしない使いやすさの秘訣が詰まっていました。手作りといえど高価なカバーなので大切に長く使わないといけません。
途中、いろいろ、大変だったんだろうなと想像しました。おしゃべり花さんでも、「もうやめよう」「もう無理」「とんでもないことを始めてしまった」と後悔したと知り、特に細部での難しさがヒシヒシと伝わりました。よくぞ、最後まで、諦めなかったこと!拍手を送ります。
これからは、良きお供として、おしゃべり花さんの傍らにいるんだなあとしみじみ感じ入っています。
ところで、15年も使い続けたなんて思いもよらない黒のケースですが、素材もいいんでしょうね。これからも、たまには、出動することと思います。
15年前の当時、期待外れの品揃えにガッカリしたおしゃべり花さんを思い浮かべ、仕方なく黒のケースを買い、それでも、大事に使い続け、それでも、今回、自分で作成されたという気持ちの変遷に頷くばかりです。