『48歳の原点』早いもので65歳になります!!♡

兄の亡くなった年齢62歳もとっくに通過( ᐛ ) ナイスゥ65歳ですꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)

『初めての子』(*^_^*)

2013-07-18 23:41:37 | その他
わたしは高校3年の時に就職活動もせず、受験もせず
高校を卒業しても定職に就かず、フラフラして
ハワイグループの事務を2社経験したところで
事務職ってのは経理が出来た方が良さそうだぞ
そう思い職業訓練校の経理課を選び受講して
訓練校での就活で決まった勤め先での配属が秘書!
あらま・・・お局様も居てイジメも体験し色々あったけど
今思えば楽しかったOL時代
検診車での健康診断で体重が50kg以上の子が居ない!
ビックリして始めたダイエット
ボディビルジムでの女性用ダイエットに通い
そこで知り合ったのが長女二女のお父さん
背は低かったけど筋肉が綺麗に付いたカッコ良い人でした
一緒にジムに通い、一人暮らしの部屋に通って
神田川の世界ですねぇー
結婚する時には商船会社に勤めていたけど倒産で無職に!
結婚したのに無職って、ってことで一生懸命仕事を探して
最初に消費者金融に勤めたけど余りのノルマの厳しさに辞め
次に大手印刷会社に勤務
その面接の時に、必要書類に成績証明書があって
卒業した高校から成績証明書を送ってもらったら
なんとオール5!商業高校でしたがオール5でした
人の通信簿を見たこともオール5を見たことも初めてでした
字も綺麗な(書き順は目茶苦茶だけど)頭の良い人でしたね
長女はお父さんに似てるのかもしれません
頭も良いし、字も上手だし、明るいし、わたしに似てないや
結婚して直ぐに妊娠、OL時代に一緒に秘書をやっていた
先日船橋グランドホテルでランチをした先輩お友達も
わたしの前に寿退職⇒妊娠、で同じ頃出産予定でした
予定日は8月だったかな?
夏の暑い盛り、母と水天宮に行ったりマタニティを買ったり
赤ちゃんが生まれてくるのをそれはそれは楽しみにしていました
妊婦さんにとって夏は拷問のようでしたね
暑かった、とても暑い夏でした
お父さんはボクシングをやっていた人で
村田英二郎が好きだったので
子供が生まれたら英次郎って名前にしようって
お腹に向かって英次郎!って呼んでいました
今はお腹の中の赤ちゃんの様子がハッキリ解るけど
当時(30年前)超音波で心臓の動きを見る
手足が解る・・・程度でした
先生は男女の区別が付いていたでしょうけど
言う時代じゃなかったし聞かなかったし
男の子と疑わず出産を迎えました
予定日までまだ間がある7月16日(土)夕方~
千束通りを歩いていると、破水!
そのまま台東病院に行くと、即入院、絶対安静状態でした
陣痛室みたいな部屋に入れられてると
後から後から陣痛の妊婦さんが来ては⇒出産、来ては⇒出産
わたしは陣痛も来なくて土日を陣痛室で過ごし
フラフラしてると鬼のような看護婦さんに
「K田さん(当時の苗字)あなたは破水してるんだから
安静にしていないとダメよ!」怒られてジッと待ってると
月曜日に主治医が来て、陣痛促進剤を点滴・・・
今はあまり使わない陣痛促進剤(危険なのかな?)
急にお腹が痛くなって大騒ぎ・・・午後の2時頃には
ポンって感じで可愛い女の子が生まれました
女の子!!!英次郎って呼び続けてたよ(笑)
名前どうしよう???
母が(またまた訳の解らないことを…)
「女の子の名前はお父さんに付けさせちゃダメ、
初恋の人や好きな人の名前を付けるから、ダメだよ」
で・・・桃子にしようってわたしが提案したら
OL時代に読んでいたマンガの「さくらんぼ物語」の
桃子って可愛いから付けようとしたら季節が違うと反対され
結局お父さんの勤め先の人が「N子ちゃんってどうですか?」
・・・母に言うと良いね、ってことでその名前に決定!
逆子で吸引器でお尻や股間を吸われて産まれて来たので
股が真っ赤っかでした
予定日より早くてちょっと小さくって保育器に入りました
産着から手も足も出ていません
口も小っちゃい唇が真っ赤な可愛い可愛い赤ちゃんでした
初めての子だったので、触るのも恐る恐る
沐浴も2人、3人掛かりでした
まだ紙おむつもそれほど普及していなくって布おむつで
来る日も来る日も洗濯、洗濯、おしめの山でした
哺乳瓶消毒も、ミルク作りも、離乳食も
今みたく便利じゃないし種類も豊富じゃないので
本当に一つ一つ手作り、良くやってたなぁ、と思います
変なとこ神経質だから、赤ちゃんに付きっ切りでお世話して
育児ノイローゼみたいでした
人付き合いも苦手だったので公園デビューは無し
でも、手紙を書くのが好きだったので文通や回覧ノート
その内二女も生まれて離婚をして働くようになってからは
ママさんサークルを作って会報を発行したり
手先の器用なママさんにお揃いグッズを作ってもらったり
二女が生まれてからは余裕も出て来て子育てを楽しんでいました
長女は特に大きな病気もせず、夜鳴きもせず、オネショもせず
手の掛からない子でした
三姉妹とも丈夫な手の掛からない子でした
特に二女はお姉ちゃんと言う見本が居るので全く手が掛からない
知らない内に育ってたって感じです
仲良し姉妹、母子家庭の時の苦労が3人の団結を強くしています
3人で(母と兄の世話になり、保育園に世話になり=今働いてる)
仲良く過ごしていましたから、その時の絆は強いです
わたしが働いてたので二人には淋しい思いをさせたと思いますが
二人共ぐれるでもなく、今日に至っています
今も、母親想い、妹思いの良い姉です
長女長男特有のシッカリした部分とお人好しでボンクラな部分
両方を兼ね備えていますが、基本優しい気の付く良い子です
小さい時には厳しくって泣かせてばかりいて、ごめんね!
これからも気の利く優しい女性で居てね
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