桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

臨死体験?

2009年04月24日 12時08分13秒 | つぶやき

 二百年近くも前に死んだ人(矢部駿河守定謙)の石碑を訪うて会話を交わす、と考えて ― 自分では霊感はことのほか鈍いほうだと思っているので、死者と会話することなどできっこないと思ってはいるのですが ― そんなことを考えたせいで、ふと数年前の出来事を思い出しました。
 ずっと日記をつけているので、読み返せば、それは200*年*月*日と明確に記すことはできるのですが、その出来事の端緒となったのは知人が死んだことなので、できることなら読み返さず、日付は曖昧なままにしておきたい。

 ともかくその日の何日か前に知人が死んでいました。
 死んだときは身許が明らかになるようなものを何も持っていなかったので、死んでいるということを誰も知らない。ただ、その少し前から行方不明になっていたので、仲間うちではひょっとしたら……という声はありました。

 浴びるようにウィスキーを呑む人でした。脳が冒されているんだろう、と冗談半分に揶揄する仲間もいました。知人ではありましたが、取り分け仲がよかったというのでもありません。

 新宿の裏町にある呑み屋の亭主でした。足繁く通ったこともあり、何か月も行かないこともありました。
 彼が死ぬ直前、私は新宿から浅草に転居しておりましたので、一年に一度ぐらいしか行っていなかったと思います。

 その店に初めて行ったのは二十九歳のときでした。それから三十年近い付き合いをしてきました。
 私が口切りの客で、ほかに客はいなかったりすると、「仕事は順調か」と訊いてくれたり、「お前はいい歳をしてまだ呑んだくれているのか」と憎まれ口を叩いてくれたりしました。強がりをいってみたり、女々しいことをこぼしてみたり……。

 三十年も付き合っていれば、お互い様ですが、おっさん、年老いたなと感じることがままありました。仲間がからかうように、おっさん、頭がいかれているんじゃねえか、と思うしかないようなこともありました。
 そうかと思うと、突如しんみりとして、私が初めて店を覗いたときの印象を話し出したりしました。私は事細かには憶えているはずがないので、ほんまかいな、と思いながら聞くしかありませんでしたが……。

 思わず前置きが長くなってしまいました。
 某年某月某日 ― 。
「やっぱり死んでいました」という電話連絡が入りました。お姉さんからでした。
 涙は出なかったと記憶していますが、そのときの心の動きがいかようであったか。いまとなっては思い出すことはできません。
 新宿で商売をしていたので、すぐ近くに住まいを借りていましたが、自宅は北鎌倉にありました。そう聞いていただけで、訪ねたことはありません。

 いまから思うと、生きているほうのおっさんは情緒不安定だったのでしょう。死んでいたと聞かされて、家も知らないのに、北鎌倉へ行ったのです。
 行ってみたところで、呆然と佇むしかありません。

 北鎌倉の駅に着いてからどうなったかがまったくの謎です。
 やっぱり新宿へ行くしかないか、と思ったのかどうか、東京に戻る電車に乗りました。すでに暗かったという記憶がありますが、真冬だったので、実際はまだ夕方だったと思います。
 電車は空いていて、乗ったときから座席に坐りました。

 多分……すぐ眠りに落ちました。

 銀色とも金色ともつかない光景がありました。あとでこじつけたのかどうかわかりませんが、私はこれがまさに「臨死」というやつなのだと思いながら、その光景を見ていました。

 臨死体験をした人が、一面の花畑が拡がる、といっているのを聞いたことがあります。
 私が見ていたのは花畑ではなかったけれども、キラキラと輝いていました。海か川か、水面が光っているみたいです。その水面を見ながら、こちらに背を向けて立っている人物がいます。
 カメラで撮るとしたら、逆光なのですから、その人物は真っ黒にしか見えぬはずですが、金色がかった灰色に見えます。
 やがて、そこに立っているのは自分なのではないかと思うようになりました。

 鳥が飛び立って、俯瞰図を見るような光景に変わって行きました。自分が自分を見下ろしています。
 そのうち、鳥となって見ているのは自分ではなく、私の両親ではないか、と思えるようになりました。一人の目で見ているのですが、父親単独でもなく、母親単独でもなく、両親なのです。
 不器用な生き方しかできない息子を心配しています。「また、莫迦なことをして」と声をかけるのですが、声は届きません。

 夢だったのでしょう。
 そのあともいろんな光景が繰り広げられるのを体験しましたが、定かな記憶はありません。

 夢から醒めたというか、気づいたのは夜の十一時近くでした。
 ワイワイと騒ぐ声で我に返りました。
「大丈夫?」「救急車?」という途切れ途切れの声。私の肩に手をかけている二人の制服の男。

 千葉駅でした。
 北鎌倉から乗ったのは午後四時ごろ(多分)。東京駅を通り越して上総一ノ宮というところまで行き、そのまま折り返して久里浜へ行き、また折り返して、七時間後に千葉駅で目を覚ましたのでした。

 幸い駅員の世話にもならず、救急車の世話にもならず家に帰りましたが、千葉から当時棲んでいた浅草まで、どういう経路で帰ったのか、まったく記憶にはないのです。
 誰にも不思議がられずに電車の中で七時間眠っていた、あるいは意識を失っていたのは確かです。
 終点で駅員に見つかりそうなものなのに、見つからなかったというのも不思議です。それほど私には存在感がなかったのか。透明人間になっていたのか。
 
 これが単
なる夢だったのか、いわゆる臨死体験(のようなもの)だったのか、私にはわかりません。
 臨死体験だったとすると、その後の人生に変化をもたらす-良い方向に変わる-と聞いたことがありますが、私にはとくに変わったこともありません。

 そのころ、私は本を一冊書くことを引き受けていて、最終段階に入っていささか疲労気味ではありました。
 営業的なことが苦手な私は依頼主と自分との間に仲介者を立てていました。そやつがボケナスでした。本が出来上がったのに、原稿料を取れなかったのです。ボケナスを選んだのは私ですから、呪うとしたら自分しかありません。
 


 今朝、「こざと公園」では毎年恒例の鯉幟の飾りつけが始まりました。

 

 午前中、郵便局へ行く道すがら見つけた野生のポピーです。なぜか市川大野界隈では野生のポピーを見かけます。


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1 コメント

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Unknown (はるじ)
2009-04-27 09:47:57
もう6年もたちますね…。
懐かしく思い出します。
うちの近くにも
野生のポピー咲きますよ。
小さくて可愛いですよね。
色はサーモンピンクだけなのが不思議です。
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