桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2014年六月の薬師詣で・三郷市

2014年06月08日 23時55分50秒 | 薬師詣で

 今月は六日、七日と大雨でした。六日は105ミリ、七日は70ミリと、決して雨の多くない我が地方としては珍しく大雨の日がつづきました。



 六月の薬師詣では埼玉県三郷市にある光福院です。



 三郷駅。初めてこの駅で降りたのは二年前の五月、上尾へ行って、初めて無患子(ムクロジ)の樹を見た帰りでした。



 三郷駅を出て八~九分歩くと、右も左も集合住宅がつづくようになります。



 三郷駅から二十二分。丹後稲荷神社があったので、寄ってみます。
 元和元年(1615年)の創建。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。五穀、食物を司る神です。「日本書紀」では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子とされていますが、「古事記」では須佐之男命と神大市比売(かみおおいちひめ)の子で、宇迦之御魂神と表記されています。



 神社の前には葛飾早稲発生の地の記念碑が建てられています。

 石碑には「万葉集」にある「にほどりの葛飾早稲をにへすとも その愛しきを外に立てめやも」という歌が彫られています。

 三郷市を含む江戸川流域の一帯は、万葉集が編纂された八世紀ごろには早稲米の産地として知られていたようです。早稲米の田んぼが広がっていたので、早稲田という地名がつけられたのでしょう。



 よほど重量のあるトラックかダンプでも通るのでしょうか。アスファルト舗装がグニャグニャになっています。



 丹後稲荷神社に寄り道をしたので、目的の光福院に着いたのは三郷駅に降り立ってから三十分後でした。真言宗豊山派の寺院です。
 鰭ヶ崎東福寺にある別院として、寳珠山東福院医王寺と号して流山市根郷番場(現在の流山市本町あたり)に創建、のちに寳珠山光福院医王寺と改号されました。
 慶長五年(1699年)、江戸川の改修工事にともなって、行人台(現在の三郷市営江戸川グランド附近)に移転。享保年間(1716年-36年)に再度の江戸川改修工事により、現在地へ移転したと伝えられています。



 安土桃山時代のものと推定される寄木造りの木造薬師如来坐像が安置されています。



 辯天堂。

 今日のお勤めは地元の慶林寺と光福院だけです。ほかに寄ってみようと思う寺社仏閣は近くにはないので、のんびりと歩きながら帰ります。




 ポパイらーめん。帰路、たまたま通りかかりました。知人から量が多いことで有名な店だと聞かされていました。駐車できるかどうか心配、というほどの来客数とも聞かされていましたが、どういうわけか、停まっている車はありませんでした。



 江戸川を見てみたいと思って、適当なところで土手の下に出ました。土が剥き出しになった場所はところどころまだ湿っていて、危うく滑りそうになりました。



 二日つづいた大雨で湖のようになった江戸川の河川敷です。



 上流に向かってちょっと歩いたら、ちゃんとした階段がありました。


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