桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

幸田湧水

2011年10月18日 17時26分06秒 | のんびり散策

 三月の大震災以来、あれも地震が原因なのかもしれぬ、と思い当たることがありました。私が棲んでいる本土寺近くは平賀中台と呼ばれる高さ10メートル前後の高台です。東側を富士川が流れ、北から西にかけて坂川が流れています。
 
灯台もと暗し。インターネットで自分の棲む地域の地図を見ていたら、幸田湧水近くに「⛩」マークがあり、「子将神」と名がつけられていました。
「子将神」とは何か? Webで検索してみましたが、何一つヒットしませんでした。一度だけ行ったことのある我孫子の子ノ神大黒天と字面が似ていなくもないので、もしかしたらと思いましたが、こちらは文字どおり大黒様を祀るお寺であり、「子」と書いても、読み方は「ね」です。で、すぐ近くでもあり、見るに如くは無しと見に行ってきました。

 


 狭い
石段を上り詰めると、小さな鳥居があり、こんな祠がありました。
 中を透かし見ると、位牌のような形をした石造物が置かれていて、「子将神」と彫られているのが見えました。なんらかの史跡なら説明板のようなものが建てられていてしくはないのですが、何もありません。つまり、これがなんなのかは皆目わかりません。



 富士川3号橋から西方を眺めると、緑色したぼた餅をドテッと置いたような小丘が見えます。子将神塚はこの丘の中、左のほうにあります。


 


 先の丘の右下、道路の面してあるのがこの幸田湧水です。
 湧水というからには、どこかに水の湧き出ている場所があるはずですが、じっと眺めていても、水が動く様子はありません。水の湧き出るのが微量であれば、素人目に観察してもわからないのかもしれませんが、たとえ微量であっても、水が湧く以上はどこかに流れなければ、池は溢れてしまうはずですが、流れ出しているような箇所はありません。水中深く湧き出して、水中深いところで地下水となっているのでしょうか。



 富士川3号橋で富士川を渡ると、対岸も高台になっています。そこに寶蔵院という無住の寺があります。久しぶりに行ってみました。

 三月の大地震で本堂前の燈籠が倒壊、ずっと倒れたまま放置されていました。久しぶりにきてみたら……ちゃんと建っていました。よかった、よかった。



 境内のイチョウ(公孫樹)の色づきがかすかながらも始まっていました。




 幸田湧水を見に行ってみよう、と思わせたのは、我が庵がある台地下に水が湧き出しているのを見たからでした。右手の覆いかぶさるようになった緑は台地の斜面の林で、斜面の上が平賀中台です。雨の降ったあとは斜面から沁み出した水が道路を濡らします。近くにはあと二か所、湧き水 ― と称するのは少し無理がありますが ― があります。

 画像の左50メートルほど隔てたところを富士川が流れています。
 異常! というほどの一大変化ではありませんが、明らかに異常です。これまで雨の降ったあとに沁み出していることはありましたが、久しく雨の降っていないあとでも地面が濡れているのです。

 松戸市は洪積層の台地と沖積層の低地でできていて、全体の印象としては平坦な土地ですが、烈しいところだと高低差は18~20メートルもあります。その境目は傾斜地が多く。このあたりの高低差は10メートルです。



 これは上の画像の左側 ― 小さなグラウンドを挟んで湧き出している水です。一旦地下に吸い込まれた水が再び湧き出したものと思えます。右下を流れているのは富士川。




 コンクリートで土留めされたところ。以前はとくに思うことはありませんでしたが、大地震を経験して以来、このコンクリートが崩落することはないのだろうかと、ヒヤリとするものを感じながら見上げるようになりました。




 一昨年の暮れ、関西に住む友が贈ってくれた忍者の里・伊賀生まれの石蕗(ツワブキ)です。根づいてくれるかどうか心配でしたが、無事根づいてくれて、蕾も顔を覗かせてくれました。


 今月は十三日から四日連続で雨を記録しましたが、四日間ともほんのお湿り程度の雨で、地下水が沁み出てくるような降水量が記録されたとは考えられません。


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