桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2016年初詣

2016年01月03日 23時43分00秒 | 寺社散策

 寺院巡りはしても、神社巡りはほとんどしない私ですが、初詣をするならやはり神社かな。そう思い立って、我孫子の將門神社へ行くことにしました。



 我孫子で成田線に乗り換えて、湖北駅南口に降り立ちました。
 前に將門神社を訪れたのは、ついこの前……という思い込みがありましたが、保存してある画像ファイルを開いてみると、六年半近くも前の2009年八月のことでした。やはりこの駅の南口に降り立っています。



 正月だからか、駅前は静まり返っていました。



 線路沿いの径を西に向かって進みます。

 湖北駅から將門神社までのおよそ二十分の間、歩いていたのは私独りでした。擦れ違った車はわずか一台。追い抜いて行った車が三台と自転車一台。



 千葉県立湖北高校前に掲げられた相馬郡衙正倉跡の説明板。
 相馬郡衙正倉跡・日秀西(ひびりにし)遺跡は湖北高等学校の建設に伴って、発掘調査が行なわれ、その中心部分の様相が明らかになった遺跡です。郡衙とは古代(奈良・平安時代)の郡の役所全体を指す名称で、正倉とは徴収した税である稲などを納めた倉庫群を指す名称です。出土遺物から考えて、八世紀初頭から九世紀なかば過ぎまでの期間、郡の正倉としての機能を果たしつづけていたと考えられています。

 前回は將門神社から歩いてきて、この説明板があるのを知りました。夏休み中だったので校門は閉まっていて入れず、今回も冬休み中で入れません。



 西側から眺める湖北高校の校舎。



 將門神社に着きました。

 


 賽銭箱。

 強固な盗難防止対策か。格子の隙間が普通以上に狭く、お賽銭を無造作に投げ入れただけでは引っかかってしまって落ちません。

 


 將門の井戸へはこんな坂を下って行きます。軍用に用いたとも、敵の首を洗ったとも伝えられています。

 


 落ち葉が溜まっているだけで、水はありません。

 次は観音寺を目指します。



 踏切が見えてきたと思えば、日秀(ひびり)の踏切でした。

 近づいて行くと、チンチンと警報が鳴り始め、上り下り併せても一時間に四本しかない電車が通過して行くのに遭遇しました。



 いまどき珍しく国旗を掲げている家がありました。



 踏切を過ぎて三分ほどで観音寺です。曹洞宗の寺院。寛文二年(1662年)の創建。元は將門神社の境内にあったといわれています。



 目的の首曲がり地蔵はどこにあるのだろうか、と境内をうろついているうち、薬師堂と記された小さな御堂を見つけました。



 まだ新しそうな薬師如来。日光・月光両菩薩と十二神将。



 観音堂。平將門の守り本尊と伝えられる聖観音菩薩を祀っています。



 首曲がり地蔵は国道356号線に面していました。
 平將門の乱のとき、朱雀天皇の勅を受けた寛朝という僧が下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行なったといわれています。そのとき用いられた不動明王像を祀るのが成田山新勝寺です。画像の左が成田山新勝寺のある方角。そっちを向くのはイヤですよ、とばかり首を曲げておられます。



 観音寺から歩いて四分ほどのところにある中峠(なかびょう)の一里塚。道は成田街道です。

 


 龍泉寺。真言宗豊山派の寺院。大師堂(画像上)と本堂。
 七年前の將門神社参拝の帰りと、五年前に利根川を小堀(おおほり)の渡しで渡ったあとにつづいて、三度目の訪問です。本堂の画像右手に付属の保育園があって、用心のためかどうか、門の開いていたことがなく、今回も入れませんでした。本堂は門の上に身を乗り出して撮影。



 帰りは北口に到着。



 北小金に帰ってきて、慶林寺に参拝。

 ブログを更新できないうちに、正月三が日も終わりを迎えたので、東漸寺へ初詣に行きました。


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