桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2016年初薬師・印西市

2016年01月08日 23時09分14秒 | 薬師詣で

 今年の初薬師となる今月八日は千葉県印西市の歓喜院に行ってきました。
 去年九月、このお寺に薬師如来がお祀りされていることを知り、早速十月の薬師詣で……と、考えたのですが、十月八日は日曜日でした。
 日曜だとどうして具合が悪いのかというと、電車の時刻とバスの時刻の折り合いが悪いのです。




 毎日参拝を欠かさない慶林寺です。薬師如来の縁日である今日はお賽銭をあげ、参拝を済ませて、今日の小旅行の出発です。




 我孫子で成田線に乗り換えて五つ目の駅・木下(きおろし)で降りました。

 薬師詣でを始めるようになってから、成田線は結構利用していますが、この駅に降り立つのは初めてです。
 木下は一つ手前の布佐と同じように、利根川の舟運で栄えた町です。



 駅前にある木下名物・本炭火手焼せんべいの川村商店。パート勤めをしている
職場への手土産に、ここで煎餅を買います。
 まだ何もしていないうちに早くも土産とは、なんのためにやってきたのか、といわれるかもしれませんが、
この先、手土産になりそうなものを売る店がないのです。



 駅前のロータリーでバスがくるのを待ちます。
 一日八便しかありませんが、ちゃんと時間を調べてきているので、十分ほど待てば、やってくる手筈になっていました。

 先客が二人いましたが、同じ場所に日本医大北総病院の無料送迎バスの停留場もあるので、どっちの乗客なのかわかりません。

 バスの時間が近づいてくると、どこからか人が集まってきて、待ち人は八人にもなりました。
 印西市が民間のバス会社に運行を委託しているバスです。料金はどこまで乗っても¥100。



 木下駅から乗車十分。永治小学校前という停留所で降りました。

 今日の目的地の歓喜院はこのバス停の近くにありますが、もう一度くるかどうか、という土地ですから、それほど遠くないところにある観音寺というお寺を先に訪問しておこうと思います。
 写っていませんが、画像左にある小径に入ると、径は一度下って上ります。
上ったところは畑地で、ブロッコリーやターツァイ、オリーブ(?)などが栽培されていました。
 畑地を過ぎると林があって、その先はまた下り坂です。



 
すごく急な下り坂! と、思ってカメラのシャッターを切りましたが、あとでパソコンに画像を取り込んでみると、さほど急には見えません。しかし、このあたりの標高差は20メートルほどもあるのです。

 我が庵のある松戸の高台と周辺の低地との標高差も20メートルほどで、日々の散策に出かけるときは義経が鵯越えをするがごとき覚悟で坂を下り、帰るときはエイショエイショと掛け声を掛けながら坂を上るということを繰り返していますが、棲み慣れたせいか、とくに気にならなくなりましたが、同程度の高低差でも、見知らぬ径は心臓に堪えます。



 急坂を下ると、一軒の民家に突き当たりました。その先を左に回り込むと、いきなり視界が広がり、彼方に山門と小高いところに観音堂が見えて、ハッとします。

 小さな盆地になっていて、そこに観音寺の境内が広がっていたのです。



 前の画像では左奥に見える観音堂の下まで行ってみました。

 山門越しにこの御堂を見たときから、高所恐怖症を持つ私は上るのを諦めています。
 観音詣でにきているのならいざ知らず、薬師詣でのついでにお邪魔したのだから、上らなくともいいでしょうと、聞く人もいないのに独り言をつぶやきながら石段下まで行って、踵を返しました。



 観音堂右手にある観音寺本堂。
 天長六年(829年)~承和四年(837年)の間に、円仁上人(慈覚大師)が開山した
古刹です。本尊は阿弥陀如来ですが、昔から厄除仁王尊のある浦部仁王尊として知られています。



 参拝を終えて、先ほど下ってきた坂を上ります。

 やはりそれほど急には見えないかもしれませんが、上り終えたときには息が上がってしまうほど急なのです。



 最初に降りたバス停近くに戻ると、遠くに今日の目的地である歓喜院(かんぎいん)の案内板が見えました。



 歓喜院。ここも天台宗のお寺です。



 歓喜院薬師堂です。
 ここに祀られている薬師如来は弘法大師・空海が一本の木を三つに分けて彫った三体の仏像のうち、上部を使ったものだという言い伝えがあります。根本のほうは松戸駅に近い吉祥寺に、中間は馬橋駅に近い中根寺に祀られていて、この二か寺は二年前2014年五月の薬師詣でで参拝しています。

 関東北向薬師如来堂という札が掲げられていたので、薬師詣でをするときはいつも携行しているコンパスをポケットから取り出してみたら、真北ではなく、北東を向いていました。



 歓喜院の裏手は斜面になっていました。斜面を下ると、くるときにバスで通り過ぎてきた松山下公園が望めます。



 この小川を渡ると、道は上りになります。



 今日最後に訪ねる泉倉寺に着きました。
 重層銅板葺き 阿弥陀堂形式の美しい本堂です。泉倉寺という寺名は所在地の和泉と隣の小倉から一字ずつとって命名されたということですが、「せんそうじ」ではなく「せんぞうじ」と読むようです。本尊は阿弥陀如来です。
 



 きた径を少し引き返して、地域の集会所(小倉集会所)に向かう径を歩いて行くと、右に下って行く石段がありました。

 地図には梯子のような表示があるので、石段があるのだとわかりますが、上りなのか下りなのかはわかりません。お寺なので、上って行くのだろうと勝手に判断していたので、下って行くとわかって、少し愕きました。それもかなり深い谷になっていました。



 下り切った先には上りの石段がありました。

 前の石段には手すりがありましたが、こちらはむき出しです。しかも、すごく急な上、ところどころ崩れかけて、ゆがんでさえいます。這いつくばるようにして上りました。



 上り切ったところに、光堂とも呼ばれる茅葺き屋根の観音堂がありました。

 永禄六年(1563年)の建立と推測され、禅宗様式という中国唐代の様式を伝承する御堂として、国の重要文化財に指定されています。
 
内陣には観音像を祀る厨子が安置されていて、毎月十七日の正午から三時間だけ扉が開けられ、厨子を拝観できるそうです。

  庵に帰ったあと、インターネットで調べてみれば、この御堂の右手に小径があり、上り下りもなく、泉倉寺横に直結していたようです。わかっていれば、石段の上り降りで肝を冷やすような思いを味わうことはなかったようです。



 この日の行程を終えて、小倉バス停に着きました。

 事前に調べておいた限りでは、永治小学校でバスを降りてから光堂までの所要時間を予測した上、この小倉バス停に着いたときには、さほど待つこともなく、バスがやってくるはずでした。
 どうやら間に合ったようだと思いながら、腕時計を覗き込んで、バス停の時刻表を見ようとしました。
 ところが、長年にわたって西日に晒され、風雨に破られた時刻表は、バスがいつやってくるのか、時刻は一字一句も読むこと能わず、だったのです。

 
時刻表が読めない、という事態は予測していなかったので、バスがいつくるのか、時刻をメモしていませんでした。

 すでにバスが行ってしまっていたとしたら、次のバスがくるまでは二時間半も待たなければなりません。どうしようかと考えるより先に、最寄りの千葉ニュータウン中央駅まで歩くべし、と決断していました。

 一つ先の小倉入口バス停を過ぎたところで、私が乗るはずだったバスがやってきて、私を追い抜いて行きました。



 近いと思ったのに、結局はテクテクと歩くこと三十分。やっと千葉ニュータウン中央駅に着きました。
 この駅に咎は何もありません。が、時刻表がないバスの停留所があったことによって、印象最悪の駅の一つになってしまいました。

この日歩いたところ


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