桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2023年三月の薬師詣で・木更津市

2023年03月08日 21時49分26秒 | 薬師詣で

 三月の薬師詣では千葉県の木更津です。

 
 


 新松戸から南船橋、蘇我と乗り換えて木更津まで約一時間半。



 今日、最初に訪ねたのは真言宗豊山派平等院です。木更津駅から十六分。明治四十年、新宿の能満寺と吾妻の東光院が合併して設立されました。

 


 平等院とは目睫の間に、真言宗智山派の寺院・成田山新宿不動堂がありました。本尊は成田山新勝寺から勧請された不動明王ですが、上総国薬師如来霊場十五番札所でもあります。

 


 浄土宗東岸寺(画像上)と同選擇寺。東岸寺は応永八年(1401年)の創建。選擇寺は文明十四年(1482年)の創建。



「いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ」という名科白で知られる、歌舞伎「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」で、切られ与三こと与三郎に悪事を仕込む役回りのこうもり安こと山口瀧蔵の墓。選擇寺境内にありました。
 歌舞伎の設定とは異なって、実際のこうもり安は木更津の大きな油屋・紀の国屋の次男坊で、なかなかの男ぶり。金回りもよかったので、花柳界の寵児といわれるような人物であったそうな。
 このあと切られ与三郎の墓にもお参りします。

 


 選擇寺から真言宗豊山派の愛染院へ。承久二年(1220年)の創建。明治三十一年、瑠璃光山東善寺、明王山持宝院、弘誓山長音寺、竹島山宝光寺の四か寺が合併して愛染院と改号。
 薬師如来立像を見ることができました。

 


 愛染院からわずか二分の日蓮宗光明寺。ここに与三郎の墓がありました。

 


 光明寺を出ると、与三郎通りと名づけられた小径がありました。
 昼間なので、呑み屋さんがあってもまだ営業前ですが、どうも昼間だからシャッターが下ろされているのではなく、年じゅう下ろされているような様子。
 与三郎通りとはいっても、この通りから与三郎の墓へは行けません。



 光明寺から木更津駅前を通り過ぎ、矢那川を越え、国道16号(東京環状道路)の高架下まで徒歩三十分。杉木立の参道の向こうに長楽寺が見えてきました。



 真言宗豊山派の寺院。上総国薬師霊場三十一番札所。創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代の創建と伝えられています。

 


 長楽寺から歩くこと十五分。小高い丘の中腹にある祥雲寺を訪ねました。やや急な上り坂を上らされた上、短いながらも石段があって、木更津駅に降り立ってから二時間。ほぼ歩き通しで歩いてきた脚にはかなりの負担となりました。



 天正十三年(1585年)の開山。我が宗派のお寺なので、歴住の墓所を捜して参拝。ちょっと変わった形のお墓でした。



 祥雲寺から二十五分。今日最後の目的地・東光院峯薬師に着きました。
 すでに午後三時近く、陽も西に傾き始め、暖かい一日でしたが、風も冷たく感じられるようになってきました。足早に参拝、と思って見上げたら……。



 天を突くような石段です。石段の上に見えるのは仁王門ですが、意を決し、手すりを頼りに上ったものの、上り切ったところは狭くて下がることができず、カメラを構えても充分に引けないので、仁王門を写すことは能わず、でした。



 香炉の向こうに本尊の木造薬師如来立像を祀る本堂。真言宗豊山派の寺院で、貞元年間(976年-78年)に僧・行基によって創建されたと伝えられています。関東九十一薬師霊場の八十六番札所。

 お賽銭をあげて参拝。これにて今日のお勤めは終了です。
 木更津駅までは三十五分。疲れ切った脚を引きずるようにして歩きましたが、帰りも蘇我~南船橋~新松戸と乗り換え。全行程坐ることができたので、新松戸に着くころには多少なりとも疲れは癒やされました。

この日、歩いたところ


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様です (風月)
2023-03-12 08:57:14
よく歩かれますね。感心してしまいました。それにしても、お寺が多くある町ですね。
千葉のほうにまで行けませんので、お写真に遥拝!
って言う手もアリということで。南無大師遍照金剛!
南無阿弥陀仏!南無瑠璃光如来!忙しいですね。
お元気で。

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