昨朝、「こざと公園」に夜桜見物用の提灯が吊されました。
去年は二十五日でした。今年は一日遅れです。
去年も一昨年もその前も……私はこの時期に、この提灯を見るまですっかり忘れていたことを思い出し、つれて思い出し笑いを禁じ得ないことがあります。
それは……2001年のことでした。この年、四月一日が日曜日で、ちょうど桜の見ごろとなりました。私は浅草に棲んでいて、知り合いたちと隅田公園へ花見に繰り出しました。一日か二日前が満開期で、ときおりビールを注いだコップに花びらが舞い落ちる、という絶好のタイミングでした。
この風流な光景を、ヒヤヒヤしながら、なかば絶望的に眺めている人たちがいました。
私たちが陣取った近くに、いやに盛り上がらない集団がいると思えばその人たちで、気になったので、簡易トイレに立ったついでにこっそり聞き耳を立てて、盛り上がらない理由を知ってしまったのです。
彼らは浅草からほんの少し離れた地域の商店会の人たちでした。なぜ盛り上がらなかったというと、すでに桜が散り始めているというのに、この年の桜祭りを一週間もあとの四月七日と八日に設定していたからです。
幸い小雨の降った日が一日あっただけと冷え込んだ日があったおかげで、花はなんとか一週間保ちましたが、桜祭り当日は花よりも散ったあとの萼(がく)のほうが目立つという情況でした。
偶然ながらも知ったという縁があったので、祭りを見に行きました。結論を先にいってしまうと、ヒジョーにつまんねェ、のでした。
屋台でも出ていればと思ったのですが、出ているのはメンバーのテントだけ。飲食店はないようで、衣料品店や靴屋のような店ばかり。店で売れ残ったようなものの叩き売り、という観を呈していました。
メインゲストがいたので、場違いのような舞台が設営されていました。しかし、メインゲストはいつくるのかわからず、舞台ではおばさんたちの踊りが披露されるだけ。客よりもメンバーのほうが断然多そうな会場でした。
満開から十日も遅れて祭りを設定していたところをみると、この年の開花予想は遅かったのでしょう。
一商店会とはいえ、何十人かが集まって物事を決め、場所を設営し、すでに広報も済ませたとなると、悲惨な結果になるとわかっていても、日程を変えるのはむずかしいのでしょう。ましてこの年は「五月みどりショー」があったのですから……。
提灯を吊すのと「五月みどりショー」を一緒に論じられないのはわかっています。
しかし、私は「こざと公園」の提灯を吊す日がその年によって微妙に違うということに気づくと、いつも「五月みどりショー」を抱えて盛り上がらなかった集団を思い出してしまうのです。
そして花が終わって提灯がたたまれると、来年のいまごろの時期まで、その集団のことをすっかり忘れしまうのです。
昨朝、通勤前に少し遠回りして見つけた立壺菫(タチツボスミレ)の群落です。
そのすぐ先に咲いていた沈丁花も満開。
不思議なことにこの花はあまり匂いがしませんでした。
見事に咲いていた雪柳。
小手毬(コデマリ)をベランダに置くまで、私は雪柳(ユキヤナギ)と小手毬の区別ができませんでした。芙蓉(フヨウ)と木槿(ムクゲ)の区別はいまだにつきません。
提灯は吊されたものの、桜そのものはこんな状態で、まだ一輪も開花していません。
電車ならわずか十分しか離れていない新松戸では、すでに三分咲きの樹もあるというのに……。
提灯のおかげか、立ち止まって、桜の蕾を見る人が増えたようにも思えます。冬の寒さが戻ってきましたが、気分だけは春めいています。
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