桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2021年九月の薬師詣で・我孫子市

2021年09月08日 21時55分32秒 | 薬師詣で

 今月の薬師詣では千葉市の花見川区を歩くつもりでした。花見川という川に沿うような形で、薬師如来をお祀りするお寺が四か寺もあるのを見つけたのです。
 しかし、問題は不順つづきの天気です。あまり当たらない天気予想もこのところは好調で、今日八日も夕方か夜になると雨、といっていたので、千葉市まで行っていると、帰るころには雨、もしかすると、薬師詣での最中に雨、ということにもなりかねないと考えて、早めに帰ってこられる我孫子に切り替えることにしたのです。先月の薬師詣で(八千代市)につづいて、県を跨ぐ移動は自粛です。
 不順な天候ですが、ただ一つありがたいのは低温注意報が出るほど気温が低いことです。
 九月に入ってから昨七日まで七日間の最高気温の平均は去年が31・6度。対して今年は22・9度という低さ。例年なら残暑の中をフウフウいいながら歩き廻らなければならない九月の薬師詣でなのですが、今日もさほど気温は上がらないという予想なので、助かりそうです。 



 出かける前に地元の慶林寺に参拝。お賽銭をあげて行きます。
 今日向かうのは我孫子の布佐。最初に詣でるのは延命寺というお寺です。以前参拝したことがありますが、薬師如来の縁日ではない日だったので、改めて参拝します。



 常磐緩行線で我孫子まで行き、我孫子始発の成田行電車に乗り換えます。乗ったときから八人掛けのロングシートに坐る人は二人か三人。もちろん立っている客はゼロ、という状態でしたが、私が降りる布佐の一つ前・新木で大勢の客が降りてしまって、電車はガラガラになりました。



 布佐駅で降りました。
 この駅に降り立つのは何度目だろうかと思いましたが(私には五~六度というイメージがありましたが、帰ったあと調べてみると、三度目に過ぎませんでした)、二つ手前の湖北、一つ先の木下ともども近辺には何度かきているので、記憶がゴチャ混ぜになっていたようです。そして前にきたのはつい最近という感覚がありましたが、これも帰ったあと調べて、九年も前だったとわかりました。



 九年経ってもほとんど変わりがないように感じた布佐の駅前です。



 開いているのか閉まっているのかわからないような書店の前を通って行きます。
 ほぼ五十年前、私が初めて社会に出たときの勤め先の広告看板を目にして(著名な雑誌ではありますが、こういう形で目にしたことはないような気がしたので)、ふと若いころの記憶が蘇ってきて、ほんのり胸が熱くなりました。



 布佐駅から十五分歩いて最初の目的地・延命寺に着きましたが、やんぬるかな閉門……と思って近づいたら、「鍵を開けてお入りください」と書かれてあったので、無事お邪魔することができました




 真言宗豊山派のお寺です。忠変僧都という方が文禄二年(1539年)に開山したと伝えられています。
 我孫子市史には「当寺は、ときによって本尊虚空蔵、本堂虚空蔵堂とされることもあるが、什物帳では、薬師如来像を最初にあげていて、本尊は薬師如来であり、それを安置する本堂を薬師堂と称して、ときに本堂と称されていた虚空蔵堂と区別したのであろう」と記されているので、堂内を見ることは叶いませんが、まず本堂にお賽銭をあげて参拝。



 虚空蔵堂。本尊虚空蔵菩薩のほか、左右に不動明王と愛染明王が祀られています。



 九年前に延命寺を訪れたときも眺めて、つげ義春の世界を思わせるような佇まいに感興を覚えたビジネス旅館布佐です。九年も経っているので、電柱横に建てられた看板も色落ちが進んだようです。

 

 延命寺とビジネス旅館布佐の前を走る国道356号線が左へ緩やかにカーブしていたので見えなかった布佐愛宕八坂神社。今日は訪れるところも尠なく、石段もあまり高くなさそうなので寄ってみました。
 大宝三年(703年)の創建。祭神は天之迦倶土命(愛宕神社)、素盞嗚尊(八坂神社)。



 布佐駅の一つ手前・新木駅まで一駅分を歩いて行きます。国道はこれから山の中に分け入って行くような様相を漂わせています。しかし、実際は緩い坂を上り切ると、とくに変哲もない郊外の道になってしまいました。


 国道を歩いて行くのも退屈そうだったので、途中で左折。陸橋でJR成田線を越えます。



 橋を渡り終えると、木立に囲まれた線路沿いの散歩道が現われました。勢至前緑地と呼ぶそうです。成田線を跨いだ橋は勢至橋。勢至菩薩にまつわるものがあるのかと思いましたが、付近には寺も御堂もなく、なぜそのような名がつけられたのかを示すものもありませんでした。



 早くもドングリが落っこちていました。



 七~八分ほど歩いたところで、突然立木が消えて、広々とした空間に出た、と思ったら布佐南公園でした。散歩道はここで終わり。



 国道に戻るため、今度は踏切で成田線を渡ります。



 再び国道356号線に戻って歩を進めます。



 布佐南公園から二十分近く歩いて、気象台記念公園に着きました。
 ここは布佐気象送信所があったところです。地元・布佐出身で第四代気象庁中央気象台長となる岡田武松(生家跡地は我孫子市の施設・近隣センターふさの風になっています)によって、昭和十三年に開設されたものです。初代所長は、後に東北大学教授となる山本義一。藤原寛人(作家・新田次郎の本名)も勤務したことがあります。平成十一年三月に閉鎖となり、跡地が気象台記念公園として整備されました。



 眺め渡したところ、通路を除くと、すべて芝生が張られています。



 気象送信所があったという名残を示すようなものは、この地域気象観測所-通称アメダスだけのようです。



 気象台記念公園から十五分。JR新木駅北口のバス停を通り過ぎて、この日最後の目的地・長福寺に着きました。



 かつて長福寺というお寺があったようなのですが、明治の初めごろに廃寺となり、現在は下新木自治会集会所として利用されています。



 いかにも薬師堂という御堂がありました。薬師詣でを始めてから、このような御堂に出会うと嬉しくてたまらないようになりました。
 お賽銭をあげて参拝したあと、ガラス越しに中を覗いてみましたが、ガラスが埃にまみれているのでよく見えません。辛うじて金色の像が確認できました。やはり金色の十二神将らしき仏たちも確認することができたので、薬師如来であろうと思ったのですが、「我孫子市史」には「石造薬師如来像を安置していたので薬師堂とよびならわしてきたが、いまは本尊千手観音を中心に安置しているので、観音堂とよぶべきかもしれない」と記述されています。
 ただ「(祀られている)千手観音像は、頭上に十一面を頂き、合掌手以下十八手を数える。(中略)明治三十五年に修繕された厨子に納めてある」とあるので、厨子に納められている仏像を私が見ることはできないわけで、私が見たのは薬師如来だったのではないのでしょうか。



 今日のお勤めを終えて、新木駅に着きました。



 慣れていない駅の階段は高所恐怖症持ちの私には鬼門です。新木駅のように、段差があるところに目立つ色(とくに黄色)を配してくれているのは非常にありがたい。

この日、歩いたところ

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