桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2015年八月の薬師詣で・幸手市

2015年08月13日 23時45分16秒 | 薬師詣で

 久しぶりにブログの更新を試みました。
 あまりにも久しぶりだったので、記述するのは今月八日のことなのに、更新し終えるまで五日もかかってしまいました。



 電車に乗る前に地元の慶林寺に参拝して行きます。本尊は薬師如来。
 何か月か前から、薬師如来の縁日だけではなく、毎日参拝するようになりました。 



 北小金駅から新松戸~南越谷(新越谷)と乗り継いで幸手駅に着きました。
 東武の新越谷駅では、本来ならすでに発車していて、乗れるはずがなかった南栗橋行の急行が二分遅れていたために乗ることができて、予定より少し早く着くことができました。
 幸手にはまたくる機会があるかどうかわからないので、いくつかお寺を巡って行こうと思いますが、薬師如来に参拝するのは、最初に訪ねるはずの神宮寺と最後になるはずの常光寺の二か寺だけです。



 駅前の通りにはこのような幟が風にはためいていました。
 一般に平將門の終焉の地は幸嶋郡北山(現在の常総市岩井)といわれていますが、幸手にはこの幸手の地で藤原秀郷との最後の決戦に挑み、戦死したという伝説が残されています。
 市内の神明内(しんめいうち)というところには、浄誓寺という浄土真宗のお寺があって、將門の首塚があり、薬師堂まである、というからには訪ねないわけにはいきませんが、歩いて行こうとすれば、四十分もかかります。バスの便があるのかないのか、インターネットで調べてもわかりません。
 幸手駅を起点に
行って帰ってくるのに八十分、というのでは、とてもついでの訪問、という軽い気持ちでは行けません。またの機会が巡ってくることを願いつつ、今回は断念することにしました。




 陣屋稲荷(別名一色稲荷)。古河公方足利氏の家臣だった一色氏の館跡です。

 寺院には参拝しても、よほどのことがない限り神社に参拝することのない私が足を止めたのは……、持参の地図に仰々しくこの神社の名が記されていたからでした。よほど大きな神社なのかと思ったのです。



 どこに出るかもわからないのに、訳知り顔で陣屋稲荷神社横の小径を歩いたら、運よく旧日光街道に出ることができました。

 東武鉄道の踏切を越え、今日最初の目的地である神宮寺前に着きましたが、まずは門前を通り過ぎて200メートルほど歩きます。旧日光街道と旧日光御成道の合流点を見たかったからです。
 着いてみると、なんの変哲もない風景でしたが、電信柱の角を左に曲がる道が日光御成道。ここで日光街道と合流しているのです。



 あと戻りして神宮寺を訪ねます。
 源頼朝が奥州征伐のとき、ここで鷹狩りをし、薬師如来に戦勝を祈願しました。そのとき開基したのがこの寺だと伝えられています。

 薬師如来をお祀りするもう一つの常光寺まで、幸手駅を中心に「の」の字を描くように歩いて行くことにしました。

 神宮寺から八分で祥安寺。



 我が宗門(曹洞宗)の寺院なので、歴住の墓地を捜します。本堂左後ろの一番奥にありました。
 誰からも頼まれてはいないのですが、曹洞宗のお寺があれば、能う限り歴住の墓所に参拝することにしています。



 祥安寺から八分で心鏡院に着きました。本尊十一面観音は一色氏の持仏だったと伝えられています。



 ここも我が宗門のお寺です。歴住の墓所に参拝。



 心鏡院から六分で満福寺。真言宗豊山派の寺。通称・幸手観音です。創建は戦国時代末期の延徳元年(1489年)ごろと考えられています。



 満福寺観音堂です。




 鐘楼塔には色とりどりの提灯が飾られていました。訪問した翌日と翌々日が満福寺の四万六千日でした。

 幸手の総鎮守・幸宮神社。祭神は誉田別之命、経津主之命、大物主之命、倉稲魂之命、それに菅原道真の五柱。創立は不明とされていますが、境内の案内板には「幸宮神社は創建より四百年以上の歴史を持ち、古くには八幡香取社と称されていたが、明治四十二年(1909年)に合祀が行なわれたのを機会に幸宮神社と改称され、幸手町の総鎮守となる」とありました。





 幸宮神社から七分で寶持寺。



 ここも我が宗門のお寺です。歴住の墓所に参拝。

 寶持寺から八分で正福寺。真言宗智山派の寺。本尊は不動明王。開山、創建時などは不明。



 聖福寺勅使門。
 前の正福寺門前からは100メートル足らずで、聖福寺に着きました。読み方はともに同じで、「しょうふくじ」です。

 応永年間(1394年-1428年)の開山と伝えられています。江戸時代には将軍の日光社参の折と例幣使の帰路の休憩所として使われました。この門を通ることを許されたのは将軍と例幣使だけだったそうです。 



 聖福寺本堂。本尊は阿弥陀如来、運慶の作と伝えられる観音菩薩像が祀られています。

 妙観院。資料が得られないので、単立の寺院とわかるだけで、詳細はわかりません。

 

 幸手は旧日光街道の宿場町です。日本橋から六つ目。ところどころに歴史のありそうな建物が遺されています。



 擔景(たんけい)寺。浄土真宗本願寺派の寺。本尊は阿弥陀如来で、平安時代中期の恵心僧都・源信の作と伝えられています。



 この日、最後に訪れた常光寺。
 天台宗のお寺です。延宝八年(1680年)の創建と伝えられますが、詳しい資料は残っていないようです。本尊は大日如来、薬師如来、不動明王の三尊。

 常光寺を最後に今日の行脚は終了。幸手駅まで戻って帰途に就きました。


この日歩いたところ


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