桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

流山前ヶ崎あじさい通り

2011年02月23日 17時53分24秒 | 

 偶然流山市の観光マップを手に入れました。



 流山七福神詣でをしたり、かつての住まいから近かった鰭ヶ崎(ひれがさき)の東福寺には何度か足を運んだりと、流山市内は結構歩いていたのですが、市の施設を覗いたことがあるかないか、というと……博物館だけだったので、こういうマップがあったとは知りませんでした。

 私の住む松戸市北部は地図を見ると、ちょこんと頭を突き出した格好をしていて、その突き出したところを帽子で覆うように流山市が囲んでいます。我が庵から少し歩けば、北も東も西もすぐに流山市です。野良猫のうさ伎(うさぎ)のいる場所や小春の出没する前ヶ崎の香取神社も流山市です。

 富士川が流れている東側の散策は谷と小高い台地が連なるので、上り下りをともないます。平坦な道を歩くよりは散策の効果があるのだろう、と思って好んで歩きますが、とくに名所旧跡のあるような土地ではありません。
 ……と、思っていたのですが、先の観光マップを手に入れて、しげしげと眺めていたところ、流山市内には七か所しかない花のマークが、我が庵から歩いて十分ばかりのところにあるのに目が止まりました。
 さらにしげしげと眺めてみると、「あじさい通り」とあって、地図の裏面には写真と簡単な説明まで載せられていました。

 寒くなってから、朝の散歩には出ないので、最近はご無沙汰をしていますが、廣壽寺(ここも流山市)へ行くときには、そのすぐ近くの坂を上り下りしていたのです。地図を頼りに景色を思い浮かべてみると、「ああ、あの道だったか」と思い当たります。
 この坂は途中に「本州団地自治会館」という看板の掲げられた建物があるので、私は本州坂と名づけています。あじさい通りはその自治会館前を右折して下って行くのですが、何度も通りながら、私は道を曲がってみたことがありませんでした。単に住宅地を抜けて行くだけの道、としか思えなかったからです。

 私がこの近辺を歩くようになったのは、去年八月に引っ越してきてからですから、紫陽花(アジサイ)の花は終わったあとです。
 気づかなかったのも無理はないと思いながら、初めて歩いてみました。

 


 道路の右側(北側)は住宅地、左側は一部高さ5メートルの斜面になっていて、画像のように紫陽花が植えられています。
 いまの季節は立ち枯れてしまったような株があるだけですが、観光マップによると、あじさい通りは250メートルもあるのだそうです。全部で何株あるのか見当もつきませんが、斜面を覆い尽くすように植えられているところもあるので、花の季節がくれば、さぞ見応えがあるだろうと思われます。紫陽花日記も復活させようかと思います。



 よくよく見ると、小さな芽が出ていました。

↓あじさい通りと近辺のマップをつけました。
http://chizuz.com/map/map84726.html

 


 今日の散策は慶林寺から始めました。
 門前の河津桜です。咲き始めをカメラに収めたのはつい先日……と思っていたのに、十日ぶりでした。
 開花は五分咲きというところ。道行く人たちが等しく立ち止まってカメラに収めたりしています。

 北小金駅のコンコースを抜けて、東漸寺へ足を延ばしました。
 ここには一本だけですが、有名な枝垂れ桜の古木があります。あとひと月ほどで咲き始めるはずなので、蕾の様子を見に行ったのですが、まだなんの兆しもありませんでした。
 広い境内はこの日も無人でした。



 墓所に入ってみて、このお寺の開山・經譽愚底(きょうよぐてい)上人の供養塔があるのを見つけました。
 歴代住職の塔が建ち並ぶ中央にあって、竿(卵塔下の四角い部分)に「開山上人」とだけ彫られています。前も墓所を覗いて、上人ゆかりのものはないかと捜したつもりですが、見つけられなかったのに、この日はすぐに見つけることができました。

 昨日一昨日は陽射しはあっても、冷たい風がありました。今日は風がありません。真冬のコートから少し薄手のコートに着替えたのに、歩いていると汗をかきます。



 私が時折行く湯屋近くの飼い猫殿たちです。東漸寺前を走る旧水戸街道から細い路地に入り、旧小金宿の本陣跡を行き過ぎると、この猫殿たちがいます。
 ここには映っていない灰色がかったのを含めて三匹いるのですが、いつ通ってもいるのは右の茶系殿だけで、私を認めると親しみを込めて鳴いてくれるのもこの猫殿だけ、三匹揃っているのに、餌を置いても、私のそばまできて食べてくれるのもこの猫殿だけです。今日は珍しくもう一匹も出てきてくれました。

 ここから百円ショップを覗いたり、リサイクルショップを覗いたりしながら、坂を下って平賀川を渡り、常磐線のガードをくぐると、野良のうさ伎(うさぎ)が棲息する上り坂があります。その坂を上り詰めると、小春の出没する前ヶ崎の香取神社です。
 しかし、うさ伎の姿はこの日もありませんでした。今日のように陽射しがあれば、梨畑の横で日向ぼっこをしているはず、と睨んだのですが……。また何日も姿を見ていません。



 香取神社から国道6号線に出る細い小径があります。
 小春の姿も見えなかったので、いつものように拝殿下に餌を置いて、あじさい通りに向かおうと、その小径を抜けて行くことにしました。
「く」の字に曲がっているので、見通しが利きません。角を曲がったところ、道の真ん中に寝そべって日向ぼっこをしている猫殿がいました。小春によく似ている、と思ったら、小春そのものでした。

 香取神社からは100メートルほど離れたところだったので、こんなところに……と私も意表を突かれた感じでしたが、テキも一瞬私だとは気づかなかったようです。気づくやいなや、ニャーニャーとうるさくまつわりついて餌の催促です。



 あじさい通りを見たあと、久しぶりに寶蔵院に寄りました。
 庫裡に青いタオルが干されているのを硝子戸越しに見ましたが、相変わらず人の気配はありません。



 奥に卵塔(無縫塔)と五輪塔がそれぞれ三基ずつありました。

 


 上(前の画像では右から三つ目)には宝暦四年(1754年)という年号と権大僧都(ごんのだいそうづ)法印弘秀、下(同二つ目)は安政四年(1857年)と権大僧都法印祐善と彫られています。五輪塔のほうはもっと古いとみえて、何か彫られていますが、三基とも判読不能でした。
 このほかに墓石らしきものが見当たらないことからすると、この寺に住む僧は百五十年ほど前からいなくなっていた、ということになるのでしょうか。

 この寶蔵院にも何度も足を運んでいて、卵塔があることは承知していましたが、どんなことが彫られているのか、と目を凝らして見たのは初めてです。

 寶蔵院の門前からは木の間越しに富士川が見え、田圃が見え、私が暮らす本土寺あたりの高台が見えます。近場にはマンションもビルもないので、安政という江戸時代末期からこのあたりの様子はあまり変わっていないのではないか、という気がしました。



 我が庭ではスノードロップの花が開花目前を迎えています。あと一日か二日で、白い部分が雨垂れのように下に垂れて花が開くはずです。

 一月はほとんど雨が降らず、二月に入ると一転して雨や雪の多い日々がつづくという妙な気候です。昼間の温度もあまり上がりません。まだ氷点下を記録する日もありますが、春は確実に近づいています。


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