桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

十五日の布施弁天

2011年01月17日 11時52分52秒 | 寺社散策

 一昨日十五日、寒い中を柏の布施弁天に行ってきました。
 天気予報は曇のち雨か雪、ということでしたが、ときおり薄日も漏れるような空模様だったし、十五日という日を逃せない理由があったのです。
 布施弁天とは通称で、正式には紅龍山東海寺といいます。真言宗豊山派のお寺で、毎月一日、十五日、それに巳の日(今月は二日、十四日、二十六日)に限って祈祷をするのです。真言宗のお寺ですから、護摩を焚いて祈祷をするのであろう。それを見てみたいと思ったのでした。

 柏市内にあるのに、バスで行くとすると、柏駅からの便数が非常に少ないので、我孫子まで行かなければなりません。こちらは一時間に三~四本ありますが、布施弁天前まで行くバスはないので、終点のあけぼの山公園入口から十分以上歩かなくてはなりません。

 季節が春であれば、桜、チューリップ、躑躅(ツツジ)などに彩られる、あけぼの山公園を見てから……というのも一興ですが、いまの季節は花など期待できないので、私は終点の一つ前-布施荒屋敷というバス停で降りて、わざわざ遠回りをしました。
 地図を見たら、南龍寺というお寺があるので、寄って行こうと思ったのです。

 


 浄土宗南龍寺。
 元和元年(1615年)の創建と伝えられますが、浄土宗千葉教区のホームページには創建の四十五年後、寛文九年(1669年)に現在地に移転、とあるだけで、最初はどこに建立されたのかはわかりません。



 南龍寺前にあった道標。右流山、左江戸道と刻まれていました。
 すぐそばの電柱には「→布施弁天1キロ」という標示がありました。
 利根川に向かって下る坂(寺山坂)を下りて行くと、ポッコリとお椀を伏せたような丘が見えてきました。樹々の間からお寺らしき翡翠色の巨きな屋根が垣間見えます。それが目指す布施弁天です。



 布施弁天の手前。何か? と思って入ってみたら、左から不動堂、大師堂、大日堂、そして薬師堂でした。

 


 思いがけず薬師如来を拝むことができました。
 脇侍が二体あるのが見えます。薬師三尊といえば脇侍は日光・月光菩薩ですが、小さ過ぎるのと遠過ぎるのとで、どんな仏様なのかわかりません。

 南龍寺に寄ろうと思わなければ、行きも帰りも違う道を通っていたはずなので、薬師如来に参拝することはできなかったでしょう。
 これで、近場で見つけた薬師堂は五つ目になりました。先はまだ遠いけれども、あと七つ見つかれば、八日の薬師如来の縁日には毎月違ったお堂に参詣できることになります。
 また、たまたま柏駅と布施弁天を結ぶ路線のバス停があったので、時刻表を見たら、ほどよい時間に柏駅行のバスがあることも知りました。



 柏駅へ向かうバス停の時刻表です。平日は朝夕に五本だけ。土日でも一時間に一本しかありません。



 東海寺の楼門「最勝閣」です。
 総欅の二階建てで、階下に四天王、階上には釈迦三尊が安置されています。文化七年(1810年)の建立で、間口三間(6メートル)、奥行き二間(3・9メートル)。



 石段を上り切ると、正面に本堂があります。総朱塗りのあでやかな建物です。享保二年(1717年)に建立されたもので、間口五間(11・6メートル)、奥行き六間(12・6メートル)。
 境内には二十人から三十人ほどの参拝客がいただけですが、訪れる寺社が無人であることが慣れっこになっている私には、それだけでも華やいでいるように感じられました。

 本堂ではちょうど祈祷の真っ最中でした。祈祷を願う人たちの住所と名前が読み上げられ、家内安全か交通安全か、願いの筋が読み上げられて、つづいて太鼓が打ち鳴らされて般若心経が唱えられます。
 祭壇前には祈祷をしてもらう人たちが並んで立っているので、僧侶がどこにいるのか、護摩を焚いているのかどうか、見ることは叶いませんでした。 



 鐘楼。文化十五年(1818年)の建立。一辺が11・4尺(3・4メートル)の八角形をした石積みの基礎の上に、十二角形に柱が建てられています。




 三重塔。こちらはまだ新しいのか、最勝閣、本堂、鐘楼にはそれぞれに由来を記した説明がありましたが、何もありませんでした。

 このお寺を建てたのは弘法大師といいますから、千二百年の歴史を誇り、東葛地方では流山の東福寺と同じように古いお寺です。そのわりに本堂や最勝閣が新しいのは、幾度も戦火や火災に遭っているからです。

 最初に寺に火をかけたのは平將門のようです。地蔵尊を念持仏としていた將門が寺を焼く、というのは私にはにわかには信じられませんが、寺伝にはそのように伝えられているので、仕方がありません。
 まあ、時代も人物も違うとはいえ、摩利支天を信仰しながら、敵の領地内とあれば、どんなに由緒のある寺社であろうと構わず(というより好んで)火をかけた武田信玄のような罰当たりもいるのですから、贔屓の引き倒しになってはいけませんが……。

 その寺伝によれば、將門を討とうとしていた藤原秀郷軍の武将(名前は明らかでない)が松の木の上に逃れていた本尊の弁財天を祀って寺を再興した、とあります。そして、その信仰が篤かったがゆえに、將門を討伐することができた、と解釈できるような記述があります。

 私は前々から日蓮の本場ともいえる千葉県や、親鸞が長く滞在して布教活動を行なった茨城県において、日蓮宗や浄土真宗の寺院より真言宗(とくに豊山派)の寺院が多いのを不思議に思っていましたが、どうやら国家戦略の臭いがするような気になってきました。東国におけるすべての真言の寺を調べたわけではありませんが、成田山新勝寺やこの布施弁天、私が雰囲気としては気に入っている流山の東福寺はいずれも真言の寺で、將門贔屓の私からみれば、いずれもアンチ將門なのです。
 ふーむ、どうやらそういうことか、と感じると、冷気がいっそう冷たくなったように思えました。



 布施弁天は小高い丘の上にあって、北側には林もないので、北風がまともに吹きつけてくる代わり、利根川が遠望できます。



 弁天茶や。
 最勝閣の石段下にある休憩所です。寒かったせいか、無性に甘いものが食べたくなって、お汁粉をいただきました。




 布施弁天の前があけぼの山公園です。
 こんなものが見えたので近寄ってみました。公園のシンボルだそうですが、いわく因縁はわかりません。春がくると、この前が一面のチューリップ畑に変わるそうです。




 いまの季節、咲いているのは水仙と蝋梅だけです。

 


 園内の地図を見たら資料館があるので、行ってみたら工事中でした。バーベキューガーデンがあって、建物に軽食コーヒーと書かれてあったので、コーヒーでも飲むかと思って行ってみたら、二月まで休業だ、と。
 どこもかしこもこんな標示ばかり。
 こんなところ、二度とこねぇゾ、と捨て台詞を吐いて、ばけもの山公園をあとにしました。

コメント
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