オスプレイ配備への過程は原発再稼働とそっくり
“官意”に従う野田首相の「決める政治」 一部引用・・ 7月23日、12機のオスプレイが列島に渦巻く反対や不安の声を押し切って、予定通り岩国基地に陸揚げされた。 野田佳彦首相は24日の国会答弁で「安全確認ができなければ飛行・運用をさせない」と言い切った。事態の深刻さをようやく察知したのだろう。 しかし、この答弁も今までの発言と比べて本質は変わっていない。
拙速なオスプレイ配備がむしろ日米関係を揺るがす恐れも 今までは、オスプレイ配備は装備の重要な変更ではないから事前協議の対象ではない。 だから日本側にこれを中止する何らの権限もなく、「日本がどうしろこうしろという話ではない」(首相)と突き放してきた。
しかし、この問題はもはや法的問題の域を越えて、社会的、政治的問題に発展している。すなわち、日米合同委員会での協議と言うより、日米首脳の政治協議の対象になる雲行きだ。 オスプレイの飛行訓練による墜落事故の危険、低空飛行がもたらす騒音や圧迫感。米国内でさえ強い反対運動が起きている。 |
福島第一元作業員「賃金、手当ピンハネ」 労働局に訴え 職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたとして東京労働局に訴え出た。 弁護団などによると、男性に仕事を紹介し、給料を支払っていたのは前田工業(長崎県松浦市)だが、放射線管理手帳上の所属会社は、 大和エンジニアリングサービス(同県佐世保市)になっていた。 前田工業は「上にたくさんの会社があるとは知らなかった」と話している。 被ばくの恐怖と闘いながらの作業だったのに正当な手当が支払われない怒りを語った。 線量計の警報は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになる。「早く終われ、早く終われ」。男性は心の中でつぶやき続けた。 一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの線量だ。建屋内に局所的に線量が極めて高い場所があることなどが影響したとみられる。 この間に計約一二・三ミリシーベルトも被ばくした。 年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量だ。男性の場合、わずか一カ月で半年分を使ったことになる。 男性は「自分が(被ばく線量の高い作業を短期で担う)高線量要員だったことを後で知った」と話し、 「約束した賃金は少なくとも払ってほしい」と訴えた。 (片山夏子・東京新聞) |
「次は高浜」関電社長発言に枝野大臣が“激怒”
これから国といろいろと調整をさせていただきたいと」などと話し、比較的出力の大きい高浜原発3号機と4号機を、優先的に再稼働させる考えを示した。 まさにこの、規制機関が独立して、どう判断するのかということなしに、われわれ調整ができる立場でもありません。 そういった意識などをですね、まあ、手続きとかわかっておられるのに、なぜ、このタイミングでこういうことをおっしゃるのか。 私自身は、本当に強い違和感を感じました」と述べた。 |
〇「取調べのときニヤッと笑ったからこいつは本星に間違いない」 現在NHKはお上お気に入りの「大越グループ」と、国民目線の「科学文化グループ」が猛烈にせめぎ合っている) 本来のジャーナリスト佐野眞一。
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自分が所属している会社や組合や業界団体などの仲間内でもし、組織で決めて法に触れるようなことをメンバーがやったら、自分はどうするか。 それは我々の社会の中ではごく当たり前のことだが、当たり前でない社会もよそにはある。 官僚群に誘導されたドゼウ軍団の拘束にかかる仕組みが残る限り、100年たってもうちらの社会はこのままだ。 まったく自分たちの生活に根差さないのが『法』だという伝統がある。(註1),(註2)、(註3) 「どの法律を引っ張ってくるか」という手法で秩序を維持してきた。 自分たちは『法』を適用される立場ではない」と考えているようだ。
解釈どおりの考え方をしないと合格しない構造になっているのだろう。 まして裁判に訴えること、及び訴えられることは嫌でしかたがない。(註7) しかし、そのことが『法』の支配者(註8)である「彼ら」の思うツボでもあるのだが。 解決策はみんなが「偉い人、賢い人まかせ」にしないで、『「法」は何のために、誰のためにあるべきか』を考えないといけないのでしょう。 できれば、中高校生の頃から。 山本七平「日本的革命の哲学」 註2)末広厳太郎「嘘の効用」。川島武宜「日本人の法意識」 中国では「法」どころか「文」すら官僚が国家を支配するために作られ、独占されて来たもので、人々のものではなかった。 「文」をこうした状態から解き放つために労苦した代表が魯迅たちなのでしょう。 |
山本 幹夫 私は何十年も前から、教育委員会事務局は不要だと思っていました。 ただ橋本氏も委員会と事務局を少し混同しています。 逃げ出した人のたまり場③生徒や親の相手が苦手な人が多いという特徴があります。 多分、一部の例外を除き、全国の教育委員会は同じ雰囲気や特徴を 持っているはずです。 そのあたりは彼等も気がついており、現場から優秀な教員を何とか引き抜こうと努力はしているようですが、能力のある教員、生徒のことを考える教員は、 まず生徒が心配なので現場を離れたがりません。 、世間の皆さんは彼等もまた原子力村の住人と変わらないのだということを理解しておられないと思います。
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