阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年04月16日(土)のブログ]

2023年05月21日 | 東日本大震災ブログ
011年04月16日(土)
 
行け、戦場に!戦場カメラマンと従軍記者はいずこに?
東京電力福島第1原子力発電所の事故現場ではいま、4基の反応炉の炉心溶融を起こさないように必死に戦っている多くの人たちがいる。

この戦闘は放射能被ばくを避けつつやらないといけないという大変な労苦を背負っている。まさに現地は核物質から出る目に見えない放射能と戦う戦場だと思う。

その工事は既に一か月を越えた。

しかし大手新聞社は現地取材に記者とカメラマンを一回も派遣していない。東京電力に申し入れたが拒否された?たとえそうであってもそんなことで引っ込むのは許されない。

現状では大手メディアの経営者は「現場現実現物」という報道の三原則を放棄している。あなた方の使命を果たして欲しい。

専門家の防災助言を受け、防御服を借り現場のルールを守れば、作業を日々続けている作業者と同じ時間滞在し取材できる。

 現場にいる日本人の働きに全日本人、日本国、そして畏きあたりの命運がかかっている。この先祖代々暮らしてきた、「水清く物なり良き美しい国」の運命がかかっている。いや宇宙船「地球号」の全乗組員の命運がかかっている。

その現場がどうなっているか、メディアは自分の眼で誰も見ていない。

又聞きか二次情報だけしかなく、なんやかんや噂や憶測だけが飛び交っている今の報道レベルは良くない。

日本のメディア業界にはテレビの娯楽番組用の報道記者と戦場カメラマンだけしかいない?? んな訳はないことを阿智胡地亭は知っています。

 いずれにせよ、日本新聞協会編集委員会はいまこそ、

福島原発事故現場の代表取材を正当に東京電力に申し入れ、実行する義務があります。それは国民と畏きあたりへの、あなた方の職業的任務だと思います。
 
 
ドナルド・キーン氏 日本に永住する考え
4月15日 14時9分 NHKニュース

日本文学者でコロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんが、14日、NHKのインタビューに答えて「東日本大震災があった今こそ、愛する日本への信念を表したい」と述べ、日本国籍を取得したうえで日本に永住する考えを明らかにしました。

ドナルド・キーンさん(88)は、半世紀以上にわたって日本文学の研究を続け、日本文化を海外に普及した功績から2008年に文化勲章を受賞しました。キーンさんは、今月末の講義を最後に大学を退職するのを前に、14日、ニューヨークの自宅でNHKのインタビューに応じ、「奥の細道」を英訳し東北地方を訪れたこともあることから、今回の東日本大震災について大きな衝撃を受けたと語りました。そして「外資系の会社が社員を日本から呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたり、『危ない』と言われたりしているが、そういうときにこそ、私の日本に対する信念を見せる意味がある」と述べて、大学を退職したあとに日本国籍を取得して日本に永住する考えを明らかにしました。キーンさんは、また「私は、『日本』という女性と結婚した。今回の震災では日本の誰もが犠牲者だと思うが、日本人は、大変優秀な国民だ。今は大きな打撃を受けているが、未来は、以前よりも立派になると信じている」と愛する日本へエールを送りました
 
 
沖縄差別発言は「捏造」と主張 前国務省日本部長
2011年4月15日 10時53分東京新聞
 ケビン・メア氏


 【ワシントン共同】米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は14日、日本や沖縄に対する差別的発言をしたとして、国務省日本部長を更迭され同省を6日付で退職したケビン・メア氏とのインタビュー動画を掲載、メア氏は発言について「沖縄での米軍基地再編を邪魔しようとするグループによる捏造だ」と主張した。

 メア氏は、発言を聞いた学生が2カ月半後に作成したメモに基づいて発言内容が伝えられたと述べ「私の発言の記録としては全く信ぴょう性がない」と強調。

 自身の発言として報じられた内容は「沖縄の人々だけでなく日本の文化全般に対しても、非常に無礼で侮辱的だ」として「私の発言ではないことをはっきりさせたい」と指摘した。

☆メアさんの言い分をなぜアメリカ政府は了承しなかったのだろうか?

 いずれにせよ当事者の両者をきちんと取材し、インタビュー記事を掲載するのはジャーナリズムの正道だ。判断は読者がすることだ。

私は思った。日本人をなめると、どこまでウソをついても罪悪感を感じることはないのだなと。但しまだインタビュー動画を通しで見ていないので、この記事を読んだ限りの思いです。
 
 
ケビン・メア氏のインタビュービデオ ありました。
☆動画をみつけました。インタビューを聞いた結果も先のエントリーに書いたことは変わりません。なおビデオは多少編集されています。(音声と画面につなぎあり。)<WSJ日本リアルタイムのビデオはこちら
 
 
高村薫さん 東京新聞の投稿記事
一部引用・・

■[放射能]東京の放射線量(4月14日)

 昨日の東京新聞の夕刊に、作家の高村薫氏が社会時評「いま決断の時」を寄稿している。福島第一原発の事故が、周辺住民の生活経済、日本経済に大打撃を与えること、「原子力が安価な電源だというのは大嘘である」と述べた後に、原発運転停止の決断を政治家に求めている。

 一部を引用させていただく。

「この世界有数の地震国で、チェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。今回私たちは、原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は、安全か安全でないかではない。

そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはよいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか。

 私たちはいま、十六年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安が一つ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動きだす。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそこうした希望を語るときだろう。」

こちら
 
 
ずっと好きな歌  笹井宏之さんの歌

ある日何を見ようというあてもないままにたまたまテレビをつけた。

画面に現れたのは細身のすっきりした青年のドキュメンタリーだった。

番組の中で彼の病気の日々と彼の和歌が紹介されていく

最初の歌を聞いたときから 胸がつまるような


身体が震えるような不思議な体験が自分にきた

それが笹井宏之という歌人を知ったきっかけだった。

知ったときには彼は亡くなっていた。

こんな風に自分の母親を詠うことができる人間がいる。


彼の歌の中でも とても好きな歌だ。

 葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある

そして

冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちゃんいつもうたひよつたろ

風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが

ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした

笹井宏之が残したサイト「些細」はお父さんが引き継いでいる。

 
 
デモ規制も新しいやり方が必要?
☆高円寺のデモはこれまでの組織化されたデモとは相当違いがあるようだ。デモの企画者が驚いているくらいだから、警視庁の警備公安部はもっと驚いているだろうと思う。コントロールが可能な対応策はあるのだろうか?

これまで右翼の街宣車の活動資金は、官房機密費から出ていたという説もあるが、民主党政権になった今、それは難しいだろう。警察庁が別働隊でこれから何をどうを使ってくるか。

 今回多かった初めてデモに参加した一般の男女が恐怖心を抱いて、デモはやっぱり恐ろしいと思わせる手でも考えないと、現在の警備陣容では、これまでのような規制は難しい。

それとも警察庁の職員も家族も原子力汚染は怖いはずだから、反原発のデモは厳しい規制を押さえるかな~?まさかね。

⇒Begin forwarded message:
日時: 2011年4月12日 22:51:21JST
件名: 高円寺4/10demonstration

私は家族と高円寺のデモに出かけました。その様子は大量のYouTube映像で伝えられ、繰り返す必要はないでしょう。これが、BREAK THROUGHの始まりであることは間違いありません。あの3年前の反G8行動では到達できなかった瞬間が、高円寺駅前に遂に出現した。福島はじめ膨大な死者たち、国内難民、まだ見えない被爆者たちの魂と共に、と言うべきでしょう。

とはいえ、5時間立ちっ放し歩き続けた私自身も「参加者1万5000人」というのは、「飲んだビールが5万本!」的な「素人の乱」一流の冗談だろうと思っていました。ところがそうではない。友人から届いたメールを転送します。
取り急ぎ、現場からの証言を伝えます。

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さぶろうです。報告が遅くなりました、すいません。当日はデモ民衆側警備スタッフの一人として臨みました。

イラク反戦運動が失速した原因に「排除の思想」と「警備公安警察との密接的な協力への嫌悪感」が挙げられるかと思います。イラク反戦運動時に主催者から排除される側にいた者の一人として、「『排除の思想』の排除」「統制欲望の廃棄」「私物化の排除」「オートノミーの復権」を当日の警備方針としました。

出発会場の高円寺中央公園で4000人まで計測していたのですが、かなり早い段階で計測をあきらめ、会場整理に専念しないとデモ出発ができないまでに続々と詰めかけてくるという事態に対処するため会場付近の誘導に専念せざるを得ませんでした。会場に入りきらないため、警察の警備と協議して会場を取り巻く道路方向へ誘導。デモ出発時は高円寺駅から会場に参加しようとする人々が続々と続いているため、デモ後続に流れるように迂回誘導。出発時点で7000人を超えていました。高円寺駅や沿道からも途中参加者が合流してきました。五日市街道入り口では沿道参加者、新高円寺駅からの合流が相次ぎ、計測者は10000人まで数えてそれ以上のカウントを断念し、交差点の警備にあたりました。高南通り五日市街道入り口交差点では歩道からの参加者が続出しており、この時点で13000人を超えていた模様です。東高円寺駅からデモに参加する人々がたくさんいる、との報せも入ってきました。デモ先頭が環七大久保通り交差点とゴールに近付いている段階で、最終出発梯団がやっと出発という報告を受け、改めてこの場所での参加者定点計測者に参加人数の計測をお願いしました。

高円寺地域は高円寺阿波踊りという夏イベントがある土地柄なので沿道から途中参加するという文化が健全にあるということと、原水禁運動発祥の地であるという歴史的経緯もある土地柄です。これらの要因については後付けの理由ではあるにせよ考慮してもいいのではないかと。

印象的な出来事として、排外主義を煽るネット右翼連中数人がデモ参加者への罵倒宣伝を始めようとしたら、初参加の人々や真性の新右翼参加者の抗議に遭い、公安警察に庇護されながらつまみ出されるという光景に出くわしました。この期に乗じて排外主義を煽るクズどもの惨めさたるや。

デモの参加者は圧倒的に若年層と子連れの世代でした。また、ほとんどの参加者がデモ初体験の人々でした。いかなる政治的な枠組みや組織動員がない中でこれだけの人々が参加したのはとても画期的な出来事だったのではないか、と考察するものです。人々の政府や東電への鬱積した不満や、日常生活がもはや非日常生活の毎日であるという抑圧感が、なんとか表現したい、声を出さないといけない、として街頭表現行動を促すきっかけとなったと思います。それにしても当日の参加者数の目算は見事裏切られました。500人からせいぜい多くても1000人くらいかな、と予想していたので、解散地点での参加者流れ解散誘導はそれこそてんてこ舞いでした。なにしろ計測者からの参加者が15000人を超えているとの連絡を受けて、解散点パニック回避しか頭にはなかったからです。

民衆による異議申し立てが始まりました、屋内蟄居を強制されている都市住民がたくさん住んでいる地域である、という条件があるにせよ、このクニのエネルギー政策を転換させようとする民衆の意思が表示されました。また、このような条件を前提にするならば、都心部であろうと郊外であろうと異議申し立ての街頭表現行為が可能であるということです。みなさんがお住まいの地域でも街頭示威行為が同時多発的にあってもいいのではないかと思います。

関東大震災時に排外主義を推進した天皇制ファシズム政権中枢部のA級戦犯とされながらもGHQの意向で無罪となり、以降の原子力推進という国家政策を支えた読売新聞の正力松太郎。この正力松太郎が警察官僚として関東大震災時「朝鮮人が井戸に毒を投入している」とする流言飛語を意図的・計画的に発信したことと、戦後、アメリカ合州国のスパイとなることと引き換えに無罪放免となり、読売新聞が原子力推進キャンペーンを、アメリカ合州国による庇護のもとに展開したことはとても示唆に富んでいます。

民衆による異議申し立てがマスコミによって報じられない理由はみなさんご存知の通りです。東京電力による広告収入が巨額であるため、東京電力を根底的に批判する論調を書くことができないのが読売新聞を筆頭とするマスコミです。ジャーナリズムの基本に立ち返り、視点が民衆の側から発信するのか、為政者の側から発信するのか、という問いかけに答えるべき時期にあるのではないか、と思われます。というか政府の広報機関としてしか機能していない大手マスコミの報道なんぞ民衆は誰も信じられなくなっているので、反原発の巨大デモが報道されない事態に「どうせマスコミなんてそんなもんだろ」との確信をいよいよ深める結果ともなっています。マスコミに頼ることなく、民衆自身の自立した情報発信の重要性を確認していきましょう。

みなさんとは近いうち、またどこかで出会えるかと思います。4.10は「民衆の意思表示の始まりの始まり」です。これからはもっと大勢の民衆が意思表示としての街頭行動に合流してくるでしょう。為政者にモノ言わぬ住民、との恥ずべき称号を払拭する、その「始まり」です。その渦の中でみなさんと再会したいと思います。その時はよろしく、です。

別のエントリー
 
 
 
海兵隊グアム移転、嘉手納より南の先行返還訴え
 知事会見

2011年4月15日 琉球新報

定例記者会見する仲井真弘多知事=15日午前、県庁

 仲井真弘多知事は15日午前の定例記者会見で、日米両政府が米軍普天間飛行場全面返還に合意して15年を迎えたことに関連し「パッケージ論が言われているが心外だ。在沖海兵隊のグアム移転、嘉手納より南の基地の返還はしっかり実現してもらいたい」と述べ、在沖海兵隊グアム移転、嘉手納より南の施設返還を先行実施するよう訴えた。 在沖米海兵隊の抑止力について「沖縄だから抑止力があり、日本の別の場所にいけば消えてなくなるとは思わない」と指摘。「辺野古移設は事実上不可能で、県外(移設)が早い」と述べ、普天間の県外移設をあらためて訴えた。以下略
【琉球新報電子版】
 
 
証拠改ざん 前田元検事に懲役1年6月の実刑
毎日新聞 4月12日(火)10時11分 配信

 郵便不正事件の証拠品だったフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして、証拠隠滅罪に問われた大阪地検特捜部の元主任検事、前田恒彦被告(43)に対し、大阪地裁は12日、懲役1年6月(求刑・懲役2年)の実刑判決を言い渡した。中川博之裁判長は「真相解明を目的とする刑事司法の根幹を破壊しかねない所業で、極めて強い非難に値する」と実刑の理由を述べた。  判決によると、前田元検事は、厚生労働省の公的証明書が不正に発行された郵便不正事件の捜査で、09年7月13日、地検庁舎内で、同省元係長、上村(かみむら)勉被告(41)の自宅から押収したFDのデータを改ざんした。中川裁判長は「検察官は有罪立証の妨げになる消極証拠とも誠実に向き合う態度が求められている」と指摘。前田元検事が、裁判が紛糾することや、上司から叱責(しっせき)されるのを恐れてデータを改変したことについて「主任検事の重圧があったにせよ極めて短絡的。検察官の行為として常軌を逸している」と批判した。

 弁護側は、改ざんされたFDデータは、厚労省元局長、村木厚子さん(55)=無罪確定=の有罪、無罪を決定付ける証拠とは言えないと主張していた。中川裁判長は「FDは重要な客観証拠。改変前のFDデータを記載した捜査報告書が作成されていなければ、村木さんに重大な不利益が生じるおそれがあった」と判断した。

 前田元検事の裁判では、検察、弁護側双方が、前田元検事の証拠改ざんを知りながら、元特捜部長、大坪弘道被告(57)と元特捜部副部長、佐賀元明被告(50)=ともに犯人隠避罪で起訴=が隠蔽(いんぺい)したと主張したが、判決は上司2人の対応については言及しなかった。

 大坪元部長と佐賀元副部長は、裁判前に争点を整理する公判前整理手続き中。2人は、起訴内容を全面否認している。前田元検事の裁判とは別の裁判官3人が担当し、異なる証拠や証人に基づいて審理される。【苅田伸宏】

 【ことば】証拠改ざん・隠蔽事件

 大阪地検特捜部は09年、公的証明書を不正に発行したとして、厚生労働省の現職局長だった村木厚子さん(55)を逮捕、起訴した。裁判で特捜部のずさんで強引な捜査が明らかになり、10年9月、村木さんは無罪になった。その後まもなく、特捜部に押収されたフロッピーディスク(FD)が、記録を書き換えられて還付されたことが報道で発覚。最高検は主任検事だった前田恒彦被告(43)を証拠隠滅容疑で逮捕した。前田元検事はFDデータが立証方針と合致しないのが疎ましく、村木さんを起訴した後、都合のいい内容に改ざん。改ざん前のデータが印刷されて捜査報告書に添付されているのを失念しており、二つの記録があることから改ざんが明白になった。最高検の捜査で10年1月末ごろ、証拠改ざんが地検内部で広まったが、過失の事案として処理されていたことも判明。当時の特捜部長、大坪弘道被告(57)と特捜部副部長、佐賀元明被告(50)が犯人隠避容疑で逮捕され、起訴された。大坪元部長ら2人は裁判で検察側と徹底抗戦する意向を表明している。

弁護士 落合洋一のブログから引用。

執行猶予判決の可能性も指摘されていましたが、私自身は、検事が、それも主任検事という立場にある者が重要証拠を改ざんするという悪質性から、実刑の可能性が高いのではないかと思いつつも、情状面も考慮されて、実刑でも懲役1年程度ではないかと思っていました。懲役1年6月というのは、なかなか厳しいもので、裁判所の、この事件に対する厳しい姿勢が出たものと思われます。事件を矮小化して組織防衛を図りたいという検察庁の思惑と、被告人にとって有利に事を運びたいという弁護人の思惑(これはそれなりに理解できますが)が合致する面があり、当事者が結託して、被告人は悪くないと言い合うという、異様な、醜い公判になっていたようですが、裁判所も、そういう茶番劇に乗せられるほど愚かではなかったということでしょう。

期待していたであろう執行猶予判決が得られず、控訴、上告して執行猶予がつく可能性は皆無と思われますから、今後、これが前田元検事の、元上司らの公判における証言に、どのように影響するかが注目されます。
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