阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

佐野洋子とシズコさん

2023年02月16日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2010年11月27日(土)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

佐野洋子さんは「百万回生きたねこ」の作者だ。子供が小さいとき相方がこの絵本を買ったので、そのとき佐野洋子という名前を覚えた。



それから彼女のエッセイを読むようになった。

  女はいくつになっても一身に少女と天女と般若が同居しているものだが、佐野洋子の場合はそれぞれの純度が高いと思った。

2010年11月5日に彼女が乳がんで亡くなった。

彼女の書いたもので最後に読んだのは「シズコさん」だった。

母親と娘のもうすさまじいエンドレスの戦い。

 これを書かないでは彼女は死ねなかったのだろう。書くことで彼女の中で浄化作用が起こったような気がする。

本の紹介文とプロフィル(webから引用)

『死なない人はいない。私もいつかは死ぬ。母さんごめんね、ありがとう――。

私は、母の手をさわったことがなかった。抱きしめられたこともない。あの頃、私は母さんがいつかおばあさんになるなんて、思いもしなかった――。

シズコさんは洋子さんのお母さん。結婚して北京で暮し、終戦、引揚げの間に三人の子供を亡くし、波瀾の人生を送る。

 ずっと母親を好きではなかった娘が、はじめて書いた母との愛憎』

1938(昭和13)年、北京生れ。武蔵野美術大学デザイン科卒業。ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。

創作絵本に『100万回生きたねこ』『わたしのぼうし』『ねえ とうさん』(日本絵本賞、小学館児童出版文化賞)など、

創作童話として『わたしが妹だったとき』などがあり、そのほかにエッセイ集『ふつうがえらい』『神も仏もありませぬ』(小林秀雄賞)『覚えていない』

『シズコさん』『役にたたない日々』、小説『あの庭の扉をあけたとき』『クク氏の結婚、キキ夫人の幸福』などを発表している。

   佐野洋子さん、生き切った人。   合掌

シズコさん サイトから引用

 四歳の頃、つなごうとした手をふりはらわれた時から、母と私のきつい関係がはじまった。終戦後、五人の子を抱えて中国から引き揚げ、その後三人の子を亡くした母。

父の死後、女手一つで家を建て、子供を大学までやったたくましい母。それでも私は母が嫌いだった。やがて老いた母に呆けのきざしが──。

母を愛せなかった自責、母を見捨てた罪悪感、そして訪れたゆるしを見つめる物語。

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没後10年『100万回生きたねこ』佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母」こちら


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