競馬・2倍の複勝

「2倍の複勝」にもどした。

ガラパゴス化3

2010-07-08 09:24:38 | 競馬
いつの頃から競馬がスピードに偏重してきたんだろうか。ボクが競馬を始めたころは1000mを1分切って

なかったと思う。(間違っていたらごめん)。2000mを2分切ったら大騒ぎだった(間違っていたらごめん)笑。

上がりも36秒台だったと思う。35秒台で上がれば大騒ぎだったように思う。それが今では未勝利馬でも35秒は

おろか34秒、33秒台で上がる競馬になっている。ボクはそれが悪いことだなんて言うつもりはない。

言いたいのは1000mを1分切ってなくても、2000mを2分切ってなくても競馬は見ごたえがあって面白かったと

言いたい。あまりにも事実と違ういい加減な記憶で話を進めるのはフェアじゃないので、少ないけれど手元に

ある資料で事例をあげながら進めてみます。たとえば昭和50年のカブラヤオーの勝った皐月賞の古い切り抜きが

あったので引用してみます。4月13日2回中山最終日8レース、あれっメインレースが8レースに行われてる。

この日は最終レースが9レースだ。ちなみに前日の土曜7日目は12レースあった。皐月賞の日がなぜ9レース

しかないのか、ちょっとボクにはわからない(笑)それはそれで、そっとして皐月賞2000mの勝ちタイムが

2.02.5上り3ハロンが38.2。この切り抜きの観戦記によると予想外の好時計ということになっている。

この皐月賞が見ごたえのあるレースであったかどうかは見る人の主観にもよるので一概に見ごたえのあるレース

だったと決めつけることはできないが、カブラヤオーの行ったままの逃げ切りで内容のないレースだったとも

言えない。なぜなら出走頭数が22頭、カブラヤオーは4枠10番、内の3枠7番に同型の逃げ馬レイクスプリンター

がいて3コーナーまでカブラヤオーとハナ争いの逃げ争いをしている。レイクスプリンターはその名のとおり

短距離血統のサウンドトラックの産駒だ。今ならニュージーランドT、NHKマイルに駒を進めて皐月賞には

出てなかったかもしれない。当時はダービーでさえスプリンター血統の馬が出走してきていた。ダービーの

フルゲートが28頭の頃の話ですが。(笑)。つまりスプリンターにとってのレースが整備されてなかったからだ。

前半3ハロンが35.0だ。今年のヴィクトワールピサの勝った皐月賞の前半3ハロンが35.4だったことや

この10年でも35.0は最速(2度ある)になることを考えても、いかに逃げ馬にとって過酷なペースだったかが

わかるだろう。この10年の2度は差し馬、追い込み馬のノーリーズン、ディープインパクトが勝っている。

そして競りあったレイクスプリンターは大差の殿になっている。ちょっと長くなったのでタイムが遅くても

面白いレースはつづく(笑い)
コメント
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