二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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株式の名言など。

面白いな、昔は、酷くない、今のが酷いな。

2024年03月17日 06時27分27秒 | ニ言瓦版
報知新聞の記事、みると、
今の酷い、政治より、まともかな。

今は、派閥は。
自民党の懇談会は。酷いな。




「朝の勉強会を終えての明大への通学。文教科学委員会の一員としての必死の「いじめ」問題への取り組みと寝る時間も惜しんでの参院議員活動を続けた大仁田厚だったが、永田町の空気は6年間、一貫して冷たかった。
  「何をやってもタレント議員だとか、パフォーマンスだとかがつきまとっていた」―。  一方で党から求められるのは“広告塔”としての役割ばかりだった。  「仕事と言ったら選挙の時、地方を回って声を張り上げて応援演説をすること。俺が一般の人の代表として委員会で『おかしいだろ!』って発言しても、それが実現することは決してなかった」と振り返ると「俺は国会って、俺たちの小さな意見でも拾ってくれる場所と思っていたけど一切なかった。国を動かすっていう意気込みを持って議員になったけど、それもできなかった」と寂しそうに続けた。  

プロレスラー出身の1年生議員―。  それが「参院議員・大仁田厚」の現実の姿だった。  「馳さんなんか見てると、プロレスラーとしてバカにされても、ちゃんと県知事まで行ってる。そういうところは利口な生き方だなと思います」―。 

 自身同様にレスラー出身ながら文科相、
石川県知事と登り詰めた馳浩氏の名前を挙げると、
「馳さんは自分で道を切り開いたということ。
森(喜朗)さんの出身の石川県で参院議員になって衆院に鞍替えして、最初はプロレスラーがって白い目で見られたと思うけど、それを我慢して我慢して、それは素晴らしいことだと思う」と続けた。  

「自分でその時は世の中を変えられると思っていたけど、そうはいかなかった。国会という魔物がいたんだよ。政界には魔物がいるんだよ。目立ち過ぎると…」―  そして、決断の時が来る。  
比例区での公認も内定。
2期目を目指して出馬すると見られていた07年7月の参院選の1か月前に緊急会見。突然、政界引退を表明してしまう。
  
当時、一部週刊誌に
「キャリア官僚とキャバクラ嬢やAV女優を自宅マンションに招いて乱痴気騒ぎをしていた」という記事が掲載されることを知っての出馬辞退という憶測も浮上したが、「それはまったく関係なかった。『みんなで飲みましょう』って言って、合コンまがいのことをしただけ。俺は外に出てタバコを吸っていた。(記事にあった)


『脱げ! 脱げ!』なんて絶対に言ってない」と、この時ばかりは声を荒らげた大仁田。  その証拠にこの年初めには議員辞職を決め、後見人として支え続けてくれた古賀誠氏に「すみません。辞めます。
僕の今の考え方に国会が合いません」という言葉で報告していた。  
「古賀先生はその時、何も言わなかったし、俺も引き留められても、もう、やらないと決めていた」―。  そう明かした「邪道」。  「ただ、自民党を除名になったのはいまだに分からない。議員辞職を申し出たのに受理されないで後から除名と言われて弁明の機会も与えられない。結局、おまえはいらないってことじゃないですか?」―。  そう寂しげにつぶやくと、「人間って嫌になる時があるじゃないですか? 
辞める3、4か月前に自分の中で
『国会議員・大仁田厚』に対して、これは違うな。これが俺の道なのかな?って思ってしまったんです」と正直に続けた。  「そのまま腐っていく自分に我慢して生きていくのかって話でしょ」と続けると「46万人もの人に投票してもらって、議員にしてもらった。期待してもらった。『人づくりなくして国づくりなし』っていう言葉のとおり、未来の日本にとって大事な教育、いじめ問題を、俺が何とかするって意気揚々と政治の世界に飛び込んだのにこのざま…。申し訳ないし、情けなくて、不甲斐なくて。今、この歳になって、あの時、もっとこうすれば良かったと思うことがたくさんある。だけど、あの時は無力感が苦しくて…。このままでは俺は腐ってしまうなという気持ちで(議員)バッジを外した。外すことになんの未練もなかった」ときっぱり。 

 議員になって6年目の06年に調停の上で離婚が成立していたことも大きかった。  「離婚してなかったら、生活を守るためという選択肢もあったかも知れないけど、もう1人なわけじゃないですか? 自分の生きたいように生きるだけと思った」と正直に明かすと、「もっと真面目にやっていたら、3期くらいやって副大臣にはなっていたよ。同期(当選の議員は)はやってるからさ」と本音もポロリと漏らした。  

6年間の議員生活を振り返って「我慢したけど、教育改革ができなかったから、自分の中でくすぶっている部分はある。やりたいことができなかったわけだから。ただ、総理だって、やりたいことができないのが政治の世界だよ」と寂しげにつぶやくと、「ただ、今はSNSの時代でいじめも巧妙に、陰湿になっているよね。いじめで人生が潰されるなんてことがないように法案できちんと罰したり、そういうことのために戦いたいって気持ちはある」と66歳になった現在、「政治家・大仁田厚」としての思いも明かした。  
では、政治のプロの目から見た「大仁田議員」とは、どんな存在だったのか。その奮闘ぶりを間近で見てきた実力派議員が今、率直な思いを語る。(取材・構成 中村 健吾) * * * * * * 
 「スポーツ報知」では、今年4月にデビュー50周年を迎える「邪道」大仁田厚のこれまでのプロレスラー人生を追いかけていきます。66歳となった今も「涙のカリスマ」として熱狂的な支持を集める一方、7度の引退、復帰を繰り返し、時には「ウソつき」とも呼ばれる男の真実はどこにあるのか。今、本人の証言とともに「大仁田厚」というパンドラの箱を開けていきます。」




今も、酷い、派閥と、その酷さは、比較ならない。
知らないかった、石川は、酷い地域になった。


選挙でれば、当選するかも、いや、今の変な一族、派閥より、ましかもしれない。
ーーー

「「キャリア官僚とキャバクラ嬢やAV女優を自宅マンションに招いて乱痴気騒ぎをしていた」という記事が掲載されることを知っての出馬辞退という憶測も浮上したが、「それはまったく関係なかった。『みんなで飲みましょう』って言って、合コンまがいのことをしただけ」


友好関係など、集まらない。

どこかの、スポーツ選手・芸能人の不祥事と違う。
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