二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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凄い、女は、三井 殊法

2024年08月18日 06時57分50秒 | ふ2
知らなかった。
三井の女は。

この人、江戸時代。

「三井 殊法(みつい しゅほう、1590年(天正18年) - 1676年10月16日(延宝4年9月9日))は、江戸時代の女性商人である。殊法とは法体の名。本名は不明。三井家(のちの三井財閥)の遠祖。「前垂れ商法(まえだれしょうほう)」の元祖といわれる。 

1602年(慶長7年)、殊法13歳で、伊勢国松阪(現 三重県松阪市)の三井家に嫁ぐ。夫は三井則兵衛高俊。近江国鯰江(現 滋賀県東近江市附近)の元城主・三井越後守高安の長子としてこのとき22歳であった。
三井家は、高安の代で、武家から町家に転向し、質屋や酒・味噌の販売をおこなっていた。越後屋(のちの三越)の屋号はここから由来するといわれている。
殊法は、夫高俊が、かなてより父高安から武士の訓育を受け、町人の気質に疎いことを気にかけ、家業の今後を深く案じ、自ら商売の道をつくって子どもにその作法を教え、実践したとされる。殊法が夫に変わり、家業の商売一切を取り仕切ることで、家業の立直しが図られた。そして、夫との間に4男4女をもうけ、そのうち四男が八郎兵衛高利(三井高利)である。
殊法は子どもたちに江戸や京都、大阪に呉服や両替の商売を興させ、これがのちの三井家の祖となる。1676年10月16日(延宝4年9月9日)、殊法87歳で没する。戒名は「智光院殿華月殊法大姉」。松阪の来迎寺に葬る」


名言

『質物など外よりは利分も少々安く致し、かさを取り候様にいたされ候。又、酒、味噌など買人どもへあしらひ、自身それぞれに茶たばこ冷食等にても買人の使の者にあいそういたされ候。』

 (質物はほかの店より利息を少し安くし、
かさ(商い高)をふやす方法で行いました。
またお酒や味噌など買う人をもてなし(優遇し)、
(殊法)自らお茶やたばこ、
茶華などで買い手の使用人に愛想でもてなしをしました。)

こうした商売。

『慈悲深き人にて、佛神信仰つよく、常精進の後、毎日寒中にも、朝七ツに起、水をあび、それより、神佛祈り申し候』 

(殊法は、慈悲深く、信仰心が篤く、
常に精進される日々の中で、朝午前4時に起き、
水行を行い、神仏に(家族の健康と家業繁栄)を祈りました。)


 
殊法は、87歳で、亡くなる直前、臨終の折、まもなく息絶えることを直感し、枕元に嫁を呼び、
「蔵の中、二階の物置にからし入りの袋が2つあり、
自らの仏事にお越しになる方に配るように、自分の体は固くなる。これから足を曲げる」と言い遺したとされる。
最後まで信心とまわりへの気遣いを示す内容が残されている。
殊法の商才、子育ては、高利らの名商を生み、
三井家の柱となった。
後年、同家の名女として明治の実業家である広岡浅子にも大きな影響を与えたといわれる。」



凄いな、死ぬの、自分の遺体の処置か。

広岡浅子は、あの歌、聞きたいな。
また、やらないか。大河ドラマ、今、大河ドラマ、異常なドラマ、
予告編見ても、酷い。
早く、9月で終わり、再放送の朝ドラ、見たい、いや、龍馬伝でもいい。

【MV full】 365日の紙飛行機/ AKB48 [公式]

365日の紙飛行機 AKB48 歌詞付き フル


広岡浅子、三井 殊法の本体だ。



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