二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

そうだろう。

2017年01月06日 02時21分10秒 | ニ言瓦版
日刊スポーツの記事は、面白い。
そうだよ。生で見れない人は、録画で、みると、
より、酷いのが分かる。



「 ロック歌手の内田裕也(77)が、昨年大みそかに放送されたNHK紅白歌合戦の演出を痛烈に批判した。

 SMAPのラスト出演という目玉は失ったものの、その穴を埋めるべくタモリとマツコ・デラックスを特別ゲストとして出演させたり、シン・ゴジラが登場する演出などで従来の“マンネリ”からの脱却を図った昨年末の紅白。しかしその斬新な企画に戸惑う視聴者も多く、賛否両論を呼んだ。

 内田は毎年、紅白と同時間帯で年越しライブイベントを開催しているためリアルタイムでは観ていなかったようだが、
4日にツイッターで録画を観たと報告。「ゴジラと政府閣僚が出ていた。何なんだ、これは!?
司会もチグハグ。演出も毎曲ほとんどバックダンサーが入る!」とダメ出し。
さらに坂本冬美が歌った「夜桜お七」の作詞作曲者名が間違えて紹介されていたことについても
「紅白で作詞作曲者を間違える。チェックする奴がいるはずだろ!」と批判し、「マジかよ、NHK?!」と嘆いた。」




酷いと思うのは、多くの人かもしれない。
内田氏のいうのは、正しい。

滅多に、紅白の批判は、聞いたことがない。

いや、酷い、司会の女優で、あった。
去年の酷い司会の女優。
せめて、視聴率のいい朝ドラの女優ならば、いいが、
実績は、民放のドラマと、CM。
「あまちゃん」の幻影のような女優だった。


問われるのは、司会のできる、女優は、朝ドラの経験の女優でも、いる。
勿体ない番組と、受信料返せと、言いたいのが現実。


ニュース番組みたく、朝ドラの後の番組みたく、
できないのか。
原稿と、台本、覚えて、話せないのかと、問われる。
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もう過去話は、知らない人が多い、

2017年01月06日 02時06分02秒 | ニ言瓦版
週刊ポストの記事は、面白い。


年齢から、すると。
晩年になるのか、これからか。
いろいろ、ファンがいるのか。


「〈いつまでも女の魅力を失わないなんて 貴女は本当に不思議な人ですね〉──ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が由美かおる(66)に初めて会った時、感嘆のあまり贈った言葉である。芸能生活50年を超えた今も、由美はデビュー時と変わらないB86・W57・H86というスリーサイズを保ち、芸能界の第一線で活躍している。
「ずっと忙しかったです。ダラッとしていることは好きじゃなくて、大変なことを乗り越えるのが好きなんです。だから、あまりストレスを感じないの」(由美。以下「」内同)
 笑顔で元気いっぱいに喋る。1966年、師・西野皓三が企画・構成・振り付けをした『11PM』のショータイムで踊る姿を見た石原裕次郎が「共演したい」と番組宛に電話。この日から15歳の少女はスター街道を突っ走ることになる。相手役を務めた映画『夜のバラを消せ』の撮影中は裕次郎邸に宿泊した。
「関西から出てきた私に、まき子夫人が『我が家にいらっしゃいよ』と声をかけてくれ、マネージャーと2人で泊まることになったんです。毎朝、お弁当を作っていただき大変お世話になりました。裕次郎さんには、初めてお会いした時に八重歯が可愛らしかったので『リス』というあだ名をつけたんです。私、見た瞬間に思ったことを言っちゃう性格なんです(笑い)」
 翌年には西野バレエ団の金井克子らと「レ・ガールズ」を結成する。メンバーの関係を聞くと、笑顔を交えながらも淀みない口調で答えた。…
「プライベートでは仲良しですが、仕事に関してはライバル意識がありました。そうでないと、良い作品は作れません。なあなあではダメ。最近会うことはないですが、年賀状のやり取りを続けているメンバーもいます」
 テレビや舞台で歌って踊って、時には海外ロケにも繰り出した。年の休みは1日ほどで、1日3時間の睡眠時間というハードな生活が続いた。イタリアに出向けば大手レコード会社の社長に「欧州で大々的に売り出したい。永住してくれ」と誘われ、チリでは将校からプロポーズされた。どこにいっても厚遇される中で、由美はしっかり足元を見ていた。
「撮影でモニカ・ヴィッティさんの家に行った時、彼女は16歳なのに『もっと離れて撮って』『ライトをもう少し照らして』など意見を言っていた。自分のことをよく知ることが大切なんだなと凄く勉強になりました」
 1973年、22歳で出演した映画『同棲時代』ではヌードポスターに挑戦。ベッドシーンでぎこちない動きをしてしまうため、監督がバレエのように「1、2、3」と振り付けを与えるほど、由美は初心だった。裸になることへの抵抗感はなかったのか。
「1週間ほど悩みました。私の心には『絶対に見せられない』という古風な面、『作品のためなら』という現代的な面があって……。監督から『神秘的なメルヘンの物語だから』と説得されました。『メルヘン』という言葉に惹かれて決意したんです」
 街に貼られたポスターは続々と盗まれ、由美ファンだった嵐寛寿郎も林家木久蔵(現・木久扇)を使って京都の街からポスターを回収させたという逸話が残る。映画館には立ち見客も入れないほど人が押し寄せた。
「映画公開後は外に出ると恥ずかしくて、下を向いて歩いていました。でも、今振り返ってみると、若い時にヌードを撮っていただいて良かった。2度と戻れないですから」」


考えると、若い時に、ヌードでも、作品、出すと、永遠に残る。
水戸黄門も、彼女がいないと、成り立たない。
印籠を出すより、入浴場面と、物語の内情。


でも、勿体ないことだ。
もっと、専門の分野か、芸を磨かなかったのか。
歌も、踊りも、どこかの大学の教授になれたものだ。

芸も、話術も、演技力も、制作も、そして、人材を育てるも、しなかったのか。
不思議である。

西野バレエ団、ことによると、消えたものだろう。
もし、人材が育ち組織ならば、いい、人材が、芸能界に、出てきたものだ。

人は、安易に、仕事、すると、最後は、残るも、作品だけ。

残るのは、ヌード写真の奇麗さは、一番、二番の人かもしれない。

去年の紅白の司会の女優、より、奇麗な人か、容貌は、変わらない。

年齢の超えた美は、あるのかもしれない。
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