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帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十五と五十六)

2012-04-18 00:00:30 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十五と五十六)


 花の色はかすみにこめて見せずとも 香をだにぬすめ春の山風 
                                    (五十五)

 (花の色は霞にこめて見せずとも、香りだけでも盗み取れ、春の山おろしの風……お花の色情は、彼済みのためにこもって、見せずとも、彼おだけでも、たに、窃みとれ、春情の山ばの心風)


 言の戯れと言の心
 「花…木の花…梅…男花…おとこ花」「色…色彩…形あるもの…色情」「かすみ…霞…か澄み…か済み」「か…香…彼…あれ」「に…のために…原因理由を表す」「こめて…込めて…籠って」「見…目で見る…覯…まぐあい」「かを…香を…彼お…わがおとこ」「だに…だけでも…たに…田に…谷…女」「ぬすめ…盗め…窃め…他人の物を我がものとせよ」「はる…季節の春…春の情」「山風…山に吹く風…山おろしの風…山ばでの激しい心風」。


 男の歌。山の木の花見物として清げな姿をしている。「心におかしきところ」は、ものの山ばの果てでの自己犠牲的むさぼりの心。

 
 恋しくば見てもしのばむもみぢ葉を ふきな散らしそ山おろしの風 
                                    (五十六)

 (恋しければ見ては偲ぼうとする紅葉を、吹き散らさないでよ、山おろしの風……乞いしければ、見て偲ぼうとする飽き色の端を、吹き散らさないでよ、山ばおろしの心風)


 「こひ…恋ひ…乞い」「見…覯…媾…まぐあい」「しのばむ…偲ばむ」「む…意志を表す」「もみぢ葉…秋の色した葉…飽き又は厭き色した端」「はを…葉を…端お…身の端…おとこ」「ふきなちらしそ…吹き散らすな…吹き果てるな」「やまおろし…山おろし…山ば下ろし」「風…心に吹く風…飽き風…厭き風」。


 女の歌。紅葉見物の歌として清げな姿をしている。「心におかしきところ」は、ものの山ばでの限りなきむさぼりの心。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十三と五十四)

2012-04-17 00:01:22 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十三と五十四)


 さくら花しづくにわが身いざ濡れむ かこめにさそふ風のこぬまに 
                                   (五十三)

(桜花の雫に、我が身、さあ濡れよう、散る花びらを囲い目に誘う風の吹かぬ間に……おとこ花のしづくに、若身、さあ濡れようよ、囲いめに誘う世の風の来ない間に)。


 言の戯れと言の心

 「さくら花…男花…おとこ花」「しづく…雫…滴るもの…し突く」「し…士…肢…子」「わかみ…我が身…我が見…若身」「いさ…さて…ものを始めようとするとき発する言葉…さあ…人を誘う時に発する言葉」「む…しよう…意志を表す…しませんか…勧誘を表す」「かこめ…囲い目…花びらなどの吹きだまり…囲い女…家の奥深く囲われる女…奥方…人の妻」「かぜ…風…心に吹く風…世間の風」。


 男の歌。桜花を詠んで清げな姿をして、言の戯れに男の心根が顕れている。
 藤原公任の云うように、歌には「心におかしきところ」がある。



 ちはやふる神なび山のもみぢ葉に 思ひはかけじうつろふものを  
                                   (五十四)

(ちはやふる神奈備山のもみじ葉に、思いは寄せない、衰え散るのだから……血早ふる女、なびく山ばの飽き色の端に、思いは懸けない、衰え果てるのだもの)。


 「ちはやぶる…枕詞…千早振る…神、氏、人などにかかる…威力盛んな…血千早振る…血気盛んな」「かむなび…所の名…名は戯れる」「かむ…かみ…神…女」「なび…靡…なびく」「やま…山…山ば」「もみぢ葉…秋色の葉…飽き色の端…厭き色のおとこ」「は…葉…端…身の端…おとこ」「かけじ…懸けない…懸命にならない」「うつろふ…移ろう…変化する…衰える…はてる」「ものを…ものなのに…ものだから…なのだからなあ」。


 女の歌。もみじ葉を詠んで清げな姿をして、言の戯れに女の心根が顕れている。
 藤原俊成の云うように、歌は「なんとなく艶にもあはれにも聞こえる」。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。




帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十一と五十二)

2012-04-16 00:05:23 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十一と五十二)

 見わたせば柳さくらをこきまぜて みやこぞ春のにしきなりける 
                                                    (五十一)

 (見渡せば、柳と桜とかき混ぜて、都は春の色織り成した錦だなあ……見つづければ、枝垂れ木、お花の木、かき交ぜて、宮こぞ、春の色織り成したことよ)。


 言の戯れと言の心

 「みわたす…見渡す…広く眺める…見続ける」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「柳…男木…しだれ木…しだれおとこ」「桜…木の花…男花…おとこ花」「こき…接頭語…動詞の意味を強める」「まぜて…雑ぜて…混ぜて…交ぜて」「みやこ…都…京…宮こ…絶頂…感の極み」「春…春情…張る」「にしき…錦…五色の絹糸の織物…多彩な色の織物…色情豊かなもの」。


  おなじ枝にわきてこの葉のうつろふは にしこそ秋のはじめなりけめ
                                                    (五十二)

 (同じ枝で分かれて、木の葉の色付くのは、日沈む西こそ、秋の初めなのだろうな……同じ身の枝で、とくべつに此の端が色褪せるのは、月人のかたむく西こそ、飽きの初めなのだろう)。


 「枝…木の枝…身の枝…おとこ」「葉…端…身の端…おとこ」「うつろう…移ろう…色変わる…衰える…色尽きる」「にし…西…日の沈むところ…月のかたむくところ…色情の果てる方…しに」「日…日の御子…月…月人壮士…男…おとこ」「秋…飽き…厭き」。



 春の花盛りの都の景色は歌の清げな姿。京に達した男女の夜の仲のありさまは心におかしきところで歌の艶。対するは、秋の初めのもみじ葉の様子は歌の清げな姿。京の飽き色にうつろい初めるありさまは心におかしきところで歌の艶。


 このように歌を聞けば、貫之のいう「絶艶の草」「花実相兼」「玄之又玄」「漸艶流於言泉」といった言葉が,腑に落ちるでしょう。



 伝授 清原のおうな

 

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (四十九と五十)

2012-04-14 00:03:42 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十九と五十)


 見る人もなき山里のさくら花 ほかのちりなむ後ぞさかまし 
                                   (四十九)

(見る人もない山里の桜花、他の花の散った後に咲けばいいのに……見るひともいない山ばのすそのおとこ花、ひとの華の散った後に咲けばいいのに)。


 言の戯れと言の心

 「見…目で見ること…覯…まぐあい」「人…人々…女」「山里…山の麓…山ばの裾野」「さくら花…桜花…男花…おとこ花」「ほか…他…他の花…女の華」「花…華…栄華…盛り」「散る…果てる…おわる」「まし…もし何々ならば何々だろう…仮に想像する意を表す…であればよい…適当の意を表す…だろうに、ならばいいのに…不満や希望を込めて用いられることが多い」。


 歌は山里の桜花を詠んで清げな姿をしている。何となく女の妖艶な情が感じられれば、それが歌の「心におかしきところ」。常に先に散ってしまうおとこのさがにたいする不満が歌の心でしょう。
 女歌であることは歌の内容によってもわかる。

 


 たまかづら葛城山のもみぢ葉は おもかげにこそ見えわたりけれ 
                                    (五十)

 (玉かづら葛城山のもみじ葉は、思い出される景色として、見渡していることよ……玉且つら、且つら来山ばの飽き色の身の端は、まぼろしとなって見つづけていることよ)。


 「たまかつら…枕詞…延るもの、長いもの、絶えるものなどにかかる」「葛城山…山の名…名は戯れる、且つらの山ば…なおもまたという長い山ば」「ら…状態を表す」「もみぢ…黄葉紅葉…秋の色…飽きの色」「は…葉…端…身の端…おとこ」「おもかげ…思い浮かぶ姿かたち…幻影…まぼろし」「見…覯…まぐあい」「わたる…渡る…ひろがる…つづく」「けれ…けり…気付きや詠嘆の意を表す」。


 歌は思い出される葛城山の紅葉を詠んで清げな姿をしている。飽き延び果てたおとこの見続ける艶情が「心におかしきところ」。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(四十七と四十八)

2012-04-13 00:20:05 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十七と四十八)


 見てのみや人にかたらむ山桜 てごとに折りていへづとにせむ 
                                   (四十七)

 (見ただけで人に語ろうか、山桜、手毎に折って、家への手土産にしょうよ……めを合わせただけで、ひとに情けをかけるのか、山ばのおとこ花、手ごとに折り逝き、井辺へのおみやげにするのがいい)。


 言の戯れと言の心

 「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ひと…人々…女」「や…か…疑問の意を表す」「かたる…語る…言葉を伝える…情けを伝える…かたらふ…情けを交わす」「む…しょう…意志を表す」「山桜…山ばの男花…山ばでのおとこ花」「てごとに…手毎に…各々ぞれぞれ…手事に…手腕を活用して…手練手管で」「折…逝」「いへづと…家へのみやげ…井辺へのおみやげ」「家…井辺…女」「む…しましょうよ…勧誘を表す…するといい…適当・当然の意を表す」。

 


 山のはにおれる錦をたちながら 見てゆきすぎむことぞくやしき 
                                   (四十八)

(山の端に織られる紅葉の錦を、裁ちながら、立ち見して行き過ぎることは悔しい……山ばの端で、折れるにしき木を、絶ちながら見て逝き過ぎることぞ悔しい)。


 「山…山ば」「おれる…織れる…折れる…夭折する」「にしき…錦…紅葉のたとえ…錦木…求愛のための男木…おとこ」「たち…裁ち…立ち…絶ち」「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ゆき…行き…逝き」「くやし…悔しい…残念だ」。



 山ばの果てでのおとこの在りようを詠んだ歌。

山ばのさくら花は、手も心もこめたおみやげと思うのが適当。絶ちつつ逝き過ぎては悔しいもの。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。