帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 103 あさか山かげさへ見ゆる

2014-04-15 00:16:45 | 古典

    



                帯とけの小町集


 

小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。


 

 小町集 102


      他本歌十一首(他の本より十一首追加する)

 あさか山かげさへ見ゆる山の井の 浅くは人を思ふものかは

 (安積香山、影さえ映って見える、山の井のように、浅くは人を思うものかしら・われは深く思っているわ……浅い色香の山ば、陰小枝見える、山ばのをんなが、そんなに浅く君を思うものかは・深い思いにいるのよ)。

 

言の戯れと言の心

「あさか山…山の名…名は戯れる。浅か山ば、浅い山ば、浅い思いの山ば」「かげ…影…陰…かげり…おとろえ」「さへ…小端…小枝…おとこ」「山の井…山の浅い井戸(湧水)…山ばの女」「井…女…をんな」「の…のよう…比喩を表す…が…主語を示す」「ものかは…ものであろうか否そうではない…反語の意を表す」。

 


 この原歌は万葉集巻第十六にある。

 あさか山影さへ見ゆる山の井の 浅き心を吾が思はなくに

 (……浅か山ば、かげさへ見える、山ばのをんなが、浅い情を、わたしは思わないので)。

 

葛城王が陸奥国へ行かれた時、接待役の国司が怠慢で、王は不快感を顕わにされお怒りになられた。そこで、座に居た風流な娘子、前采女が、王君の膝許で、手に酒の器をもって、この歌を詠んだ。王君の心とけて、楽しく終日飲食されたという。古今集仮名序にいう「猛き武人の心をも慰めるは歌なり」の見本歌である。

 

小町が詠んだ情況はわからないが、歌に共通するのは、「心におかしきところ」に顕れる女の色香である。その色香、今の人々にも伝われと思うのみ。

 

『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。


 

以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

古今集真名序には「彼の時、澆漓(軽薄な)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。彼の時は、小野小町等が歌を詠んだ時代のことである。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。

 

上のような平安時代の言語観と歌論を無視して、江戸時代以来、国学と国文学によって、歌集や歌物語の歌の注釈と、「清げな姿」のみから憶測する解釈が行われてきたけれども、それらは根本的に平安時代の解釈と違っている。