『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

私たちは、どこから来てどこへゆくのか?    ゆうでん流ブログ・マガジン(エッセイ・旅行記・小説etc)

現実ってなんだ

2012年06月11日 21時04分59秒 | 核の無い世界へ
あれから・・・いつから? 2011年3月11日。
ここ東京でも、大きく揺れ、ついに直下かと思った。
数日後、福島の原発が水素爆発を起こした。
これは単に地震災害では終わらないと思った。

逃げなきゃ、マジ、やばい。

が、周囲はわりあいと平静をよそおっていた。
天候、風向きによって1、2日で関東にも放射能が降るぞ!
なかには、察知して家族を非難させた人たちもいた。
ほとんどの人は日常をキープして、不安なおももちでテレビを観ていた。
テレビは、肝心要の情報など微塵も流さず、
落ち着いてください的な話に終始した。
やれやれ。だからテレビばかり見ちゃ、いけないって。
ホアンインが、「いまのところ、いまのところ」と連呼して、いつまでのいまのところなのか、さっぱりわからない話をしていた。

あれから・・・1年もすぎ、また、春がすぎ、夏になろうとしている。

なにも終わっていない。原発は、壊れたまま、放射能を垂れ流している。第4号機は、1535束の核燃料棒をむき出しプールに沈めたまま、傾いたまま、放射能を放出し、海もどんどん汚染している。魚も汚染し、変な味がしないから、それを人間が食べ、ぼくもしらずしらず食べている。産地表示だけじゃ、避けられない。加工されたらわかんないだろ?

やばい、ほんとうにやばい。ぼくはもうオッサンだから、そろそろ死んじゃっても仕方ないって感じもあるが、やっぱり子どもたちが気の毒だ。気の毒・・・申し訳ない気分だ。仮に、30年後もまだぼくが生きていて、すでに大人になった子どもたちに、「あのとき、おじいさんはどうしてたの?」と聞かれて、なんと答えられるだろうか。

ひどいもんだ。国の代表者も、それに連なる大人たちも、ひどいもんだ。もっと大声で原発止めろ!と叫んでもいいはずなのに、沈黙。原発に反対して毎日、活動している人々もいるけど、それ、少数派ってもんで、おおかたの大人たちは毎日、あれから・・・忘れてしまって。なんでか、口をつぐんだままだ。

これが、現実ってもんだったのだ。
ぼくが、なにより、いちばん驚いた事実である。

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4 コメント

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マジでか! (Tsuna)
2012-06-12 21:50:14
本当に平和ボケしていますね。日本人。
本当に被爆国としての自覚があるのだろうか?
毎年8月になるとヒロシマを世界にアピールしている国なのだろうか?

原爆=原子力が人体に及ぼす驚異的な破壊力という図式はどこに行ってしまったのだろうか?

こういう考え方をしている日本人が変な奴として生きて行かなくてはならない国・日本。

日本の農業は何処に向かっているのだろうか?

マジで考えている方、教えて下さい。
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真摯に (ゆうでん)
2012-06-13 00:29:45
コメントありがとうございます。

日常の生活感と、あまりにも乖離した、リアル現実に、心底の恐怖を覚えたら、フリーズする思考があるのかも知れません。なにもなかった、大丈夫と。それは起きていての夢かも知れない。肉体を維持して、呼吸して、なにもない現実かも。しかし、一歩でも、ちょっとでも感じ、考えれば、その夢が夢であると思い始める。で、どうしたらいいのかわからなくなる。

しかし、その先に、なにかあるのかも知れない。それを観る、観ようとするのは勇気以上のなにか、突き動かす、なにか、そういう感性をもった人もいるということでしょうか。

それが先導役かもしれません。感じるなら、一歩でも前へ歩くしかないと。そうでない人を責めることはできない。感じないなら考えないのだから、そういう性質でも、今を活きている価値と意味がその人にはなり、役がある。すべてが、縁で結ばれている。

ぼくはそう想いならが、それでも腹を立てながら活きています。
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わたしの「現実」 (ふたば)
2012-06-13 22:24:10
あの日を境に、妙な世界に入り込んでしまったようです。

もうすぐ2回目の夏。去年は想像できなかったくらいに、周りは「日常風景」が。でも何かが決定的に違う。

不可逆的な「現実」に対してか、思考パターンなのか、世の中への不信感からなのか。

産地を選びながらスーパーで買い物。水は宅配。風が強い日はマスクをつけるべきか悩む。

子どもが親になる頃も同じように暮らさなければならない「現実」が待ち受けるのか。それとも、今の方が「まだマシ」か。

手持ちのガイガーカウンターは半年以上使ってません。「現実」とどう折り合いをつけていいかわからないまま。

被爆国の日本が辿る運命、役割って何だろうと考えることもあるけれど、一方で、今日何を食べて、この先どこで子どもたちを育てていけばよいのか応えが出ないままです。

思考停止に陥ることは危険だとさんざん学んだはずなのに、「感じて前進」できない自分と付き合うのも嫌気がさしています。

どこにいても何をしていても決して晴れない気分が続いてます。


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すすむ (ゆうでん)
2012-06-16 00:53:30
すこし酔ってます。それでも書きます。
思い悩む毎日が、これほどのボリュームが来るとは知りませんでした。
それをここで文字にして書いています。
多くの方々が、同じだろうと想います。

苦しさに違いなどないと。こういう機械を使ってそれを吐露している自覚とともに、精一杯です。

離れていて、顔も知らずに、でも、悩み苦しいと、文字で語り合っている。

前置きが永遠に続きそうですね(笑う)

文字にして送ってくれてほんとうにありがとう。

答えなど、具体的に、でない、けど。必死だ。

子どもに申し訳ないなどというけど、それは自分の中の子どもにも言っている。自分に申し訳ないと言っています。

わーっと大声を上げて表で世間に、言っても、どれだけかと、また、萎縮して悲しくなります。

でも、声にしなければ自分が消えてしまいそうで、あんたはわたしはと問い続けて、だれがだれがって。

でも、今日も今もこうして生きていて、生きているってと、想い感謝するのは、遺伝子へなんかじゃんく、知っている母、父、その母、父へずっとずっと。

最後までとことんの最後まで、想い続ける。生きていることをすすむのです。

あなたへ。

ありがとう。
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