ゆうべ広島から帰りました。今回は神戸への出張を兼ねて、広島へは2日ほどの帰郷でした。311以降、母に顔を見せていなかったので安心させたかったこともありますが、広島へ戻って、今回の事態を考えたいと思っていました。
昼下がりに平和記念公園へ足を向け、原爆資料館をのぞきました。もう、何度も見学しているので、珍しさはありません。ただ、今回は福島の原発事故の現況を重ね合わせて、原爆資料に目を通しました。
原爆で使われたウランは800gほどでしたが、それでも10万人単位が放射能被爆しました。短時間で放射能障害が出た人だけでなく、その後、何年も経ってから白血病で亡くなった人も多かったのです。展示の中に、貞子ちゃんという幼子の被爆記録がありました。少女は10歳になって白血病で亡くなりました。彼女が病棟で折った鶴が展示されていました。
今回、貞子ちゃんの事を思い出して、福島の避難所で出会った少女と重なり、胸が苦しくなりました。ノーモア・ヒロシマが、また、繰り返された。戦争ではありませんが、同じ事です。わたしたちはもう、当事者です。あってはならないなどと他人事でものはいえません。
昼下がりに平和記念公園へ足を向け、原爆資料館をのぞきました。もう、何度も見学しているので、珍しさはありません。ただ、今回は福島の原発事故の現況を重ね合わせて、原爆資料に目を通しました。
原爆で使われたウランは800gほどでしたが、それでも10万人単位が放射能被爆しました。短時間で放射能障害が出た人だけでなく、その後、何年も経ってから白血病で亡くなった人も多かったのです。展示の中に、貞子ちゃんという幼子の被爆記録がありました。少女は10歳になって白血病で亡くなりました。彼女が病棟で折った鶴が展示されていました。
今回、貞子ちゃんの事を思い出して、福島の避難所で出会った少女と重なり、胸が苦しくなりました。ノーモア・ヒロシマが、また、繰り返された。戦争ではありませんが、同じ事です。わたしたちはもう、当事者です。あってはならないなどと他人事でものはいえません。