『ソウルボート航海記』 by 遊田玉彦(ゆうでん・たまひこ)

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しきい値

2011年06月07日 07時56分41秒 | 核の無い世界へ
敷居をまたぐの「しきい」とは何か。廊下と、座敷を仕切る障子・ふすまを滑らせる溝をつけた板木である。不相応の者は、ここをまたぐことはできない。武士の時代ならば、勝手にまたいだら狼藉者として主に斬られても文句はいえない。許されたとしても「二度とこの敷居をまたぐでない」の、あれである。

だから、しきいとは、ある種の安全域の境目と解釈できようか。またがなければ何事もないが、またげば命も取られかねない境である。

さて、学術用語に「しきい値」というものがある。

今もタラタラと放出し続けている福島第一原発の放射能は、避難域の外では数値が数ミリシーベルトであり、すぐに健康被害はないので安心してくださいとなっている。

ところが、放射能には、ここからここまでは、という境目の値となる「しきい値」が無いのだ!

このことを京大原子炉実験所助教・小出裕彰氏の記事を読んで知った。

放射能というものは、たとえ微量であっても細胞破壊の影響があり、ここまでは安全という「しきい値」がないという。線量の多さで癌の発生率が高まるという話であり、しきい値が無いのだから、どの値であっても「安全」という表現は使用できないそうである。

たとえ国際基準値の1ミリシーベルト(年間)であっても、浴びないほうがいいわけで、いわんや、児童の安全基準値を20ミリシーベルトとした文部科学省は、まったく科学的思考を欠いた集団ということになる。文部省と科学技術庁を合体させて、言葉の使い方が解らなくなったのだろう。

放射能が高かろうが低かろうが、「しきい値」が無いなら、敷居の内も外もなく、どこで斬り殺されるのかわからないのだ。

どこが安全ってんだ!?