◎ポツダム宣言の受諾は旧憲法を覆した革命的行為(美濃部達吉)
当ブログでは、本年七月六日から一六日にかけて、柳瀬良幹(やなせ・よしもと)の「美濃部先生と新憲法」(一九四八年七月)という文章を紹介した。
そこで柳瀬は、美濃部達吉の『新憲法概論』(有斐閣、一九四七年四月)、『新憲法逐条解説』(日本評論社、一九四七年七月)、『新憲法の基本原理』(国立書院、一九四七年一〇月)、『日本国憲法原論』(有斐閣、一九四八年四月)を援用しながら、美濃部が「新憲法」をどのように捉えたのかについて、詳しい紹介をおこなった。
美濃部達吉は、枢密院での採決で、ただひとり、憲法草案に反対した(昨日のブログ参照)。新憲法を支持しなかった美濃部が、その新憲法についての解説本を続けて四冊も上梓したのは、はなはだ奇異に思える。しかしこの憲法学者にも、それなりに考えるところがあったのであろう。
本日は、美濃部による新憲法の解説本のうち、最も詳細な『日本国憲法原論』から、「憲法制定権」と「新憲法制定の手続」について論じている部分、すなわち第二章第三節の「一」の(二)を紹介してみたい。
(二) 憲法制定権と新憲法制定の手続 新憲法に於ける国民主権主義の現れとして第一に挙ぐべき点は、新憲法の制定者が国民であり、明治憲法が欽定憲法であつたのに対して、新憲法は民定憲法即ち国民の自ら制定した憲法であることに在る。ポツダム宣言受諾の申入に対する連合国政府の回答の中には「最終的の日本国の政府の形態はポツダム宣言に遵ひ〈シタガイ〉日本国民の自由に表明する意思に依り決定せらるべきものとす」とあり、我が新憲法が国民の自由に表明する意思に依り制定せらるべきことは我が降伏の条件とせられて居る所であり、此の要求に従ひ新憲法は其の前文に於いて「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……この憲法を確定す」と曰ひ、以て国民が新憲法の制定者であることを明示して居る。
然るに現実に新憲法が如何にして制定せられたかを見ると、それは旧憲法第七十三条に依り「憲法の条項の改正」として勅命を以て議案を帝国議会の議に付し、両院の議決を経た後天皇の裁可を得て公布せられたのである。
斯かる現実の制定手続に依り、果して国民が新憲法を制定したものと謂ひ得べきや否や、新憲法前文の劈頭〈ヘキトウ〉に於ける日本国民がこの憲法を確定するといふ文言と其の実際の制定手続とは果して相調和し得べべきものであらうかは、可なり疑はしい問題であると謂はねばならぬ。何となれば旧憲法第七十三条は欽定憲法の改正手続に付いての定〈サダメ〉であり、憲法の或る条項の改正をのみ予想し、其の全面に亘り根本的な改正を為し殊に第一条及び第四条の原則を覆すが如きは其の全然予想しない所であるのみならず、同条に依る憲法の改正権者は天皇であつて天皇が議会の協賛を以て憲法を改正したまふ手続が同条に依り定められて居るものに外ならないからである。
此の矛盾を解く為には、新憲法の制定に当り形式上は旧憲法第七十三条の手続に依つたとは言ひながら、それは単に形式に止まり、実質的には全然同条の本来の意義からは離脱し、専ら議会両院の審議を以て新憲法制定の本体たらしめんとしたものであると解するに依つてのみ、其の手続の正当なる所以を理解することが出来る。
即ち我が国は、ポツダム宣言の受諾に基づき新憲法の制定には必然に国民の自由に表明した意思に依らねばならぬことの拘束を受けて居たのであるが、唯国民の自由なる意思の表明を得るが為に如何なる方法を取るべきかに付いては降伏条項の中にも別に定むる所なく、而も新憲法制定の為に特別な国民会議を選挙せしめ之をして其の立案審議に当らしむるが如きは多大の時を要し而も其の結果が果して連合国最高司令部の承認を得らるる如き新憲法草案の成立を期待し得べきや否やも不明であつて、到底当時の国内及び国際事情から見て適当な方法とは認められなかつた為に、衆議院の解散の後新憲法の制定を予想して行はれた総選挙に依り構成せられた新帝国議会を以て、新憲法の制定に付き国民の意思を表明すべき代表機関と為し、其の自由なる討議に依り新憲法を決定せんとしたものに外ならない。
随つて形式上は旧憲法第七十三条の手続に依つたとは言へ、実質的にはそれとは全く其の意義を異にし、勅命を以て付議せられた議案は唯参考案たるに止まり議会を拘束する何等の力も無く、議会は国民の意思を表明すべき代表者として自由に之を審議したものであつて、其の修正が完全に自由であることは勿論、新なる条項を追加増補することをも自由に為し得たのであつて、其の議決が国民の意思の表明としての効力を有するのである。其の議決の後形式上には尚天皇の裁可を経て公布せられたけれども、其の裁可は実質上には旧憲法に依る裁可とは性質を異にし、国家意思を決定する行為ではなく、議会の議決に依り既に決定せられた国家意思を認證する行為たるに止まるのである。新憲法公布の上諭に『朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび』とあるのも、此の意を示すものである。
要するに、新憲法は形式上は旧憲法第七十三条の手続に依り定められたものであるが、それが為に新憲法は其の効力の基礎を旧憲法に有するものと誤解してはならぬ。新憲法は其の前文に明示せられて居る如く日本国民が之を制定したものであり、而して国民が此の如き権力を有することは旧憲法の全く認めない所であるから、新憲法が旧憲法に基いて制定せられたものでないことはそれだけでも明瞭である。国民は憲法に依つてではなくポツダム宣言の受諾に基き新に〈アラタニ〉国の最高権者として新憲法を制定すべき権力を与へられたのであつて、即ちポツダム宣言の受諾は此の点に於いて旧憲法を覆した革命的行為と見るべく、若し憲法所定の手続に依らずして憲法を破壊する行為を「革命」と称するならば、ポツダム宣言の受諾に依り明に〈アキラカニ〉革命が遂行せられたものに外ならない。国民は新憲法に依つて始めて主権を得たのではなく、降伏に因り既に主権を保有するに至つたのであつて、新憲法は此の既成の国民主権に基き制定せられたのである。〈一一六~一一九ページ〉
以上が、「(二) 憲法制定権と新憲法制定の手続」の全文である。読んで感じたことが、いくつかあるが、それについては次回。
※記事の最初に、「美濃部達吉は、枢密院での採決で、ただひとり、憲法草案に反対した(昨日のブログ参照)。」と書きました。しかし、手違いで、枢密院における美濃部の言動を紹介する記事を飛ばしてしまいました。同記事は、15日にアップする予定です。
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