礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦争の抛棄は普遍的であるべきである(マッカーサー)

2022-12-12 03:26:15 | コラムと名言

◎戦争の抛棄は普遍的であるべきである(マッカーサー)

 本日は、『世界文化』第一巻第四号〔新憲法問題特輯〕(一九四六年五月)から、「巻頭言」を紹介してみたい。この巻頭言には、「平和の先駆者」というタイトルが付されているが、残念ながら、執筆者の署名はない。

    平 和 の 先 駆 者

 ラツセルは今回の大戦の前に『権力論』を書いたが、その中の『組織体の生物学』の章の中で『小国が征服によつて大国家に成長した例はいくらもある。しかし合意の上で連邦関係を結んで大きくなつた国家は存在しない。フイリツプ時代のギリシヤ及びルネツサンス時代のイタリアに於いては、いろいろの主権国家が或る程度の協力をなすことが死活の重大問題であつたのだが、それにも拘らず、遂に実現しなかつた。現在のヨーロツパはそれと恰度〈チョウド〉同様の状態にあるといへる』と述べてゐる。
 歴史が示すこの事実から推せば、国家間の合意による恒久平和体制の確立は極めて困難であり、前対戦後に出現した交際連盟の失敗の如きもこれを裏書するものに他ならない。この考へに基いて今回の交際連合についても悲観的観測を下すものも出て来る訳であるが、悲観論者でなくともその前途に一抹の不安を抱いてゐる者が尠くない。この不安や悲観の解決に重要なる示唆を与へるものとしてエメリー・リーブスの新著『平和の分析』が識者の関心を呼ぶに至つた。即ち、彼はその書中で『政治力と外交を以て問題を解決しようとすれば結局そこに矛盾と破綻を生じ、原子爆弾が炸裂し、人類死滅の危機が来る』と述べ、それが解決策としては『世界各国は世界平和にために一つの動かし難い法則――法律を持たねばならぬ。各国が個々の条約によつて平和を招来しようといふのではなく、全国家が唯一の法に従はねばならない』と主張する。
 マツカーサー元帥は去る三月六日、日本の新憲法草案発表に際して、この草案は『日本政府関係と当司令部の間に於ける労多き調査と屡次〈ルジ〉にわたる会談の後、書き下されたものである』と前置きし、戦争抛棄の規定について『それによつて国家は、戦争が国家間の問題を解決するものとしては無益なものであることを認識し、人類の正義と寛容と理解を信ずる方向に新しい道を拓くものである』と声明し、更に四月五日の極東管理理事会に於ける演説で、昔隣人との議論解決に際して用ゐられた暴力の個人権は団体に引渡され、団体即ち州のその権利は国家主権に引渡されて国家が州の保全保證者となつた敬意を述べて戦争権主体の推移のあとを明かにし、戦争を抛棄せる『日本の如きその国家的保全にやがては地上の全人民が自から服することになるであらう。かゝる崇高なる法律に委ねんとする一国家の存在を認めることは、世界秩序の発達に必要であり、こゝにこそ最後の平和への道は横はつて〈ヨコタワッテ〉ゐるのである。故に余は日本の戦争抛棄に関する提言を全世界の人々の思慮深き考察のために推挙する』と推賞し、更に『かゝる戦争の抛棄は一方的でなく、普遍的であるべきであり、また此のことは絶対たるべきである』と強調した。
 このマ元帥の二回の声明中に盛られてゐる高邁にして斬新なる世界観と国家論は、まさにリーブスの世界平和体制論に有力なる現実的基礎を提供するものであり、また、本誌が本欄に於いて既に二回にわたつて協調せる社会科学革新の必要及び世界単一共和国建設の主張とその軌を一にせるものである。今や吾々は明かに世界恒久平和の基礎条件が原理的にも現実的にも、着々と熟しつつあることを看取することが出来る。
 最初に引用せるラツセルの考へは少くとも今次大戦前までの定説であつた。然るにその後、自然科学の異常なる進歩と、それに伴ふ技術の長足なる発達、それによつて必然的且つ急激に惹起されつゝある社会科学の根本的革新――これらの諸条件によつて右の考へは全く覆り〈クツガエリ〉つゝある。そしてそこから、人類が永遠の昔からあこがれて已まなかつた世界恒久平和の楽園への道は開かれんとしてゐる。しかもその先駆をなすものは他ならぬ我が民主日本である。吾々はまたこゝにマ元帥の声明中の一句を引用して全世界に対する我らが呼びかけとしよう。
『世界は各国民相互間の関係に一歩を進めんとする用意ありや否や』

 日本は、憲法に戦争抛棄を定めることによって、来るべき世界平和の先駆者となりうるというのが、マッカーサーの見解であり、また、巻頭言の筆者の見解でもあった。
 ところで、この巻頭言の筆者だが、ひとつ考えられるのは、国際法学者の横田喜三郎である。もちろん推測にすぎないが。

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