父が逝ってしまった。
漸く落ち着いた生活環境を得て、もう1~2年あれこれと逸話を残してくれるに違いないと思っていたのだが。
この十数年間は、毎年のように新たな病を得ては驚異の回復をとげて見せ、その生命力で私を敬服させていた父だった。
最期は急変から10時間余り。
呆気ないものだった。
苦しまないようにとだけお願いした。
その願いを尊重して、精いっぱいの対応をしてくださったドクターに感謝をする。
呼吸が少しずつ浅くなり、血圧が低下して脈が弱くなり、眠るように静かな最期だった。
意識は無いように見えたけれど、多分声は聞こえていて、色々なことがわかっていたのだ。
最期の2時間ほど前には、両目から静かに涙がこぼれた。
「泣くな」と言いながらそっと涙をぬぐってやると、程なく力ない瞳になった。
最近は「お父さん」とではなく「○○くん」とまるで兄弟を呼ぶように話しかけていた私だったが、ICUの一つ向こうのベッドから聞こえてくる「お父さん」と別の患者さんに呼び掛ける声に満足したのかもしれなかった。
嵐のような目まぐるしい日々が訪れて過ぎ去った。
今日は本当の初七日。
父がそばにやって来て、静かに自分の居場所を確保したような気がする。
漸く落ち着いた生活環境を得て、もう1~2年あれこれと逸話を残してくれるに違いないと思っていたのだが。
この十数年間は、毎年のように新たな病を得ては驚異の回復をとげて見せ、その生命力で私を敬服させていた父だった。
最期は急変から10時間余り。
呆気ないものだった。
苦しまないようにとだけお願いした。
その願いを尊重して、精いっぱいの対応をしてくださったドクターに感謝をする。
呼吸が少しずつ浅くなり、血圧が低下して脈が弱くなり、眠るように静かな最期だった。
意識は無いように見えたけれど、多分声は聞こえていて、色々なことがわかっていたのだ。
最期の2時間ほど前には、両目から静かに涙がこぼれた。
「泣くな」と言いながらそっと涙をぬぐってやると、程なく力ない瞳になった。
最近は「お父さん」とではなく「○○くん」とまるで兄弟を呼ぶように話しかけていた私だったが、ICUの一つ向こうのベッドから聞こえてくる「お父さん」と別の患者さんに呼び掛ける声に満足したのかもしれなかった。
嵐のような目まぐるしい日々が訪れて過ぎ去った。
今日は本当の初七日。
父がそばにやって来て、静かに自分の居場所を確保したような気がする。