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私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

深層心理の反映

2008-11-30 | 5考える
今日は今頃、某会合に出席しているはずだった。
月初から、久々にそうした会合に出席する予定を立て、楽しみにしていたのだ。

ところが数日前、友人のAさんから「私も出席するのよ」というメールが突然届く。

そのメールを読んだ頃からテンションは著しく低下。予定の会合は「楽しみ」から「ストレス」に変化していったような気がする。

今朝、明け方から差し込むような腹痛。鶏鳴下痢とよばれるところの症状を呈する。
結局、その会合に出席するのは急遽中止した。

どうやら、Aさんのことがどうしようもなく苦手になっているようなのだ。
漠然とした生理的嫌悪感…とでもいったものが自分の中に出来上がっている。
今朝の下痢は、その深層心理が、誤魔化しようもなく体の反応として現れたと考えるしかない。

体は正直ものだ。

しかし、円滑な社会生活を営むためには、そうした自分の想いを、多少なりとも取り繕って対応することが必要なのだが、どうやら、自分の気持ちを取り繕うことができなくなっている。
ますます、大人の社会人からかけ離れ、柔軟な対応が出来なくなっている自分に呆れ、さじを投げかけている。
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タイヤの中からアンコ

2008-11-26 | 5考える
先週末、急に冷え込んだので、例年より早めだったがスタッドレスタイヤにタイヤを付替えた。

タイヤ交換した日は小雨模様で、取外した普通タイヤが濡れてしまったため、収納袋から取り出して、ベランダに並べておいた。

今朝、そろそろ乾いたかな…と、様子を見に行くと、タイヤの間に薄紅色の粉末がこびりついている。
「こりゃなんだ?なにかしら昆虫の卵かしらん…それにしては危険な感じの色合い」
おそるおそる跡をたどってみる。
粉末の先には、円の欠けた「おはぎ」が一つ転がっていた。

我が家はマンション。
「おはぎ投げ」の儀式があったとしても、それが届く高さではない。

疑わしきは、ハトかカラス。
タイヤの隙間に休憩所でも作ろうとしたのか。
…呆然とし、一口ついばまれたあとのあるおはぎをつまむと、ごみ箱に放り込んだ。
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神様がいっぱい

2008-11-23 | 5考える
数年来放ったらかしの家の中を整理していたら、あちこちから色々な神社のお守りやお札が出てきた。

出雲大社に、太宰府天満宮、赤間神宮に地元の天神様。
北野天満宮にそれからそれから…。

我が家には、神様がいっぱい同居なさっていたようだ。

どこかにお返しに上がりたいのだけれど、どこの神社でもいいのかなぁ。
神様同士の相性とかないのだろうか。
其処にお返ししてはならないところでお納めいただいたりして…そうしたら、ご利益どころか祟ってしまわれるだろうな…神様というのは。

こうした方面に恐ろしく知識の薄い私は、途方に暮れている。
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大和ミュージアム

2008-11-16 | 5考える
今日は朝からとても美しい日だった。

急に思い立ち、友人と広島県呉市の大和ミュージアムへ行ってみた。

一時の大和ブームは一段落したはずだが、駐車場には様々な県のナンバーが揃いぶみ。博物館内も人であふれている。

テーマが他の地で掲げえないものだということもあるだろうが、個性的で、本当に博物館らしい博物館を久々に訪れた…と満足感を覚えた。

印象的だったのは、男性客が多いこと。
年齢層も幅広く、観光地には珍しく、女性客の数を圧倒していた。

また、ボランティアガイドさんの活き活きとされた様子が記憶に残った。

どの方も、定年退職されて何年か過ごされた年齢の男性だったが、味のある語り口で、お一人お一人説明を聞き比べてみたいような気持にさえなった。

戦艦大和の1/10モデルをセンターに置き、過去から未来へつなげていく構成になっていたが、死に急がなくてはならなかった数千人の命という現実に比べて、某アニメ作家さんのイメージから描かれている未来は、歴史の現実に圧倒され、精彩を欠く。

肯定的可能性がほとんど望めない大和の航海は戦争終結前の悲しみの集積だ。
いくつもの遺書を見たが、たくさんの知性と良心、そして愛情が海の底に沈んだのだ。

一人一人の温かい人間性で、時の流れは止められなかった。

昭和恐慌に始まる日本の歩みを巻き戻すことができたなら、もっとより良い結末に至るシナリオを描くことができるのだろうか。
より良い結末にいたる為のシナリオは、どんな筋書きであれば良かったのか。

語ること、考えることを知らず知らず避けてきた領域。

しかし、道路ひとつ挟んで、海上自衛隊による設置らしい現代の博物館…鉄のクジラ館で、敗戦の結果として日本の海上自衛隊が置かれた現実を垣間見るとき、平成恐慌と名づけられそうな不況の気配を感じながら、悲劇にならない筋書きを想わずにはいられなかった。
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価値判断基準

2008-11-08 | 5考える
価値判断するときに基準となるもので最多のものは何だろうか。

人生観にも信条にも関わる最も基本的な部分であるが、それについて明快な答えをすぐに返すことができる人は多くないのではないか。

例えば財力を最も重視する人がいる。
偏差値を重視する人。
善悪の道徳によることが多い人。
出身大学名、所属会社、出自といったブランドに拘る人。
信仰を持つ人は、その教えを最重要とされるだろう。

その人が最も誇れるものが、その人の価値判断の基準となっていれば人生は苦もなく過ごしやすいものであろうが、自分に備わっているものと、その人の価値判断基準となるものにギャップがある場合、人は苦しむことになる。

良い人間関係を持てる間柄だと思っていた人の価値判断基準が、自分に備わっていないものだと感じる時、良好な人間関係を保つことにエネルギーを必要とし、ストレスを感じるようになることがある。

そういう意味で、アメリカ合衆国の新大統領となられるオバマ氏の、自分と異なる観念の価値を認めるという立ち位置は、普遍的で尊いものだという気がする。
そうした立場にたって物事を考えることができるようになれば、社会の厚みはぐっと増すと考えるのだが。
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