私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

魔法が解けるとき

2012-11-20 | 7追憶する
カボチャが馬車ではなくカボチャだと気づいてしまう。

気づくのが早かったのか、遅かったのか。

気づいたその時、どうするかが問題だと思うのだが、気づいてしまった…と感慨に耽るだけでは道は開けないのだろう。
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昔は信じられたのだが

2012-08-09 | 7追憶する
学校が警察の介入を許すことがふえている。

日本の社会が、色々なところで壊れ始めているが、学校もその例外ではないのだ。

親が我が子供を信じ守ろうとするのは当然のことだが、学校も親の次に子供を守り信じる存在であったはずなのだが。

家庭が壊れ、その教育機能が失われ久しい。
学校も、児童生徒の実態をまるで把握していない。
把握できていないから、警察に引き渡さざるを得ない。

家族制度が崩壊しているのと同様に、学校も壊れたのだと思う。

昔々、まだ若かりし頃、某コンビニエンスストアでアルバイトをした時期があった。

今では普通のことだが、防犯カメラが導入されることになり、あちこちにカメラを設置する工事が入ったのだが、外部の人をとらえるだけでなく、レジにおいて店員の手元を狙うカメラやバックヤードを記録するカメラがあることに気づき愕然とした。

後になって知ったのだが、「うち引き」と呼ばれる店員の犯罪にも対応しようとしたものだった。

人から疑われるなんてことは、ついぞ経験したことがなかったので、ショックで…時を同じくしてそのアルバイトを辞める準備をしていたのだが、自分のコンビニでのアルバイト経験自体が、疎ましく汚れたものに思えたものだ。

今では、ごくごく普通のことだ。

そのコンビニエンスストアの親会社であった、系列の百貨店で働いていたという奥様によれば、ずっと以前からその系列会社は店員を「性悪説」で管理するところであったようで、デパートガールは店内では休憩中も透明で中身の見えるトートバックの使用を義務付けられ、当然店員しかいないところも監視カメラで管理されていたそうである。

今では、世の中に広く行われている、ごくごく普通のことのようだ。

でも、変わったのだな「世の中が…」と思う。
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独りであるという認識

2011-12-17 | 7追憶する
最近、脳科学者の澤口先生のブログを拝見したことがきっかけで、何かともの思いしがちになっている。

http://toshi-sawaguchi.life.coocan.jp/blog/

よく言えば思索的、哲学的。
はっきりと言えば「あーでもないこーでもない」と実りのないヨシナシゴトを自分の頭のなかでこねくり回している。

澤口先生のブログは頻繁にかくれんぼ状態になる。
記載されていた内容が消えたり、再び出現したりする。
共通項はまるでないのだが、感覚的に「わかる」「共感できる」箇所が記事のそこここにあって、訪れないではいられない。

「孤独」や「夢」に関する記述が秀逸で、私は好きだ。

私も示指よりも薬指のほうが長い、母親の胎内でテストステロンを多く浴びたタイプだ。
性別は女だけれども、どうやら女らしい思考回路は持っていないような気がする。
サバサバしていて、坦々としている。
昔から「サッパリした奴」だといわれていたが、年々その傾向は強くなる。

独りに慣れているし、何より独りが好きなのだ。
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今年も暮れてゆく

2010-12-31 | 7追憶する
去年とさほど変わらぬ年の暮れを迎えている。

今年が、かくも激しく変化する年になろうとは、去年の今頃は予想だにしていなかった。

細木和子さんの占いを信じている訳ではないが、その区分にあてはめるならば、私は火星人の(+)。
昨年は「乱気」と呼ばれる年であった。

変動のある年とかで、身近な人を失うことも多い年だという定義づけがされている。

「あるいは…」と思っていた父の状態も、緩やかな経過をたどり「乱気というも、今年も大丈夫だった」と安堵していた昨年の暮れだった。
しかし、運気の切り替えは節分の2月3日。

今年明けて、おとそ気分も冷めやらぬころ、朝7時にお世話になっている老人施設の担当者から急変の電話をもらい、その日の午後には救急で搬送された病院のICUで息を引き取っていた。

今は思う。
もう十分頑張って、安堵して逝ったと。

長く、私がずっと抱えて来た、爆弾のような父であったので、私の人生も大きく変化したのだが、去年と何も変わらない年の暮れであるような気がしてならない。
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眠られぬ夜のブログ

2010-02-21 | 7追憶する
長く悩まされた不眠症から脱し、最近は布団に潜り込むや「ストン!」と眠りに落ちる喜ばしい生活だったのが、ここへ来てまたまた不眠に悩まされつつある。

一向に睡魔が訪れてくれず、話相手はPCより他に思いつかない。

亡くなった父の四十九日の段取りを、とろとろと進めているのだが、父の晩年は苦行であった。

徐々に不自由なことばかり増えていき「あーしろ、こーしろ」と兎角命令口調の人が、失語状態となって、明瞭な頭脳で要求はいっぱいあったはずなのに、一切その要求を伝えることができなくなった。

命令される側からすれば、それが救いであったのだが、本人にしてみれば、そうした状態がどれだけのストレスであったことか。

要求するための言葉を失い、行動するための体の自由を失い、食べたり飲んだりする楽しみさえ失っていた。

苦行以外の何ものであろうか。

乱暴に言ってしまえば、非常に強烈なエゴイストであった父の罪を罰せられていたろうか。

そんな風に言ってしまうことは、その命を失ってしまった今、ひどく残酷なことに思える。

ただただ苦しかったろうと、哀れむ想いが溢れるばかりだ。

渦中にいる時にはよぎることも無いような心境に至るところが、人の心の不思議だと言っておきたい。
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昔々の写真

2009-04-14 | 7追憶する
大正時代の、古い古い写真を見つけた。
親族の数々の結婚写真や、葬儀写真の一群から、不意に現れた家の歴史。

人間は、自分に都合の良くないことは語りたがらないもので、昔語りをつなぎ合わせても釈然としなかった空白が一気に埋まったような気がした。

女系の強い家だったが、昔の女達には里の意識が非常に強かったようだ。
いわく、自分の里だから…。親の家の為に…。
嫁いで後もずっと、自分の生まれた家を気遣っていた訳だ。

それは、戦後教育を受けた世代からは掘っても出てこない感覚で、「これは誰?この写真は何なの?」と尋ねた昭和二桁世代の親族の口からは、文化が違うとしか思えない解説が紡ぎだされた。

良いとか悪いとか、わかるとかわかっていないとかではなく、もう感覚が異次元なのだ。

戦後教育にどっぷり浸かった私が、明治女たちの気概を感じ取れているような気がしていることの方が、あるいは幻想かもしれないけれど。
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