本日東京では非常に大きく、美しい満月が
夜空に見えています。
Ozakiが午後7時頃見た際には
地面に近い地点かつ雲のない空に満月があり、
迫力のある美しさを感じました。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも」
とは安倍仲麿が日本への帰国を前に
読んだとされる月を歌った有名な短歌。
日本のふるさとである奈良の三笠山からも
今現在自分がいる中国南東部の都市からも
同じような月が見えているのかな、
という月の美しさと望郷の念を歌ったとのこと。
遠く離れていても、同じように月が見える、
という事実が感情に訴えかけますね。
今日の美しい満月を見て、芸術に疎い尾崎でも
日本の各地、世界のあちこちできれいな月が
見えているのかなぁなんてことを想像しました。
ただ、よくよく考えてみると地球から
それなりの距離がある月も
(天文学の世界観では近いのでしょうが)
地球上の場所が変われば
多少は見え方が変わるはず。
気象条件によって月が雲に隠れてしまったり、
砂埃などで全く見えなかったり、
といった場所もあるでしょう。
あるいは、土地柄によって
高層ビル街に阻まれて見えない、
というケースもあるかもしれません。
人間の想像力上は別の場所にいる人も
同じ月を見ているように感じてしまいますが、
実際にはなかなか同じ月を見ているとは
いい難いのかもしれませんね。
人間の大きさと地球の大きさのスケールを
考えれば、当然だとお感じでしょうか?
実は同じ場所にいても月の見え方は
全く同じとは言えません。
いえ、むしろ同じ場所にいて
同じ月を見ているにも関わらず、
人によって全く違うものが見えている、
ということだって起こりえるのではないでしょうか?
日本から見える月と中国から見える月は
ちょっと違うかもしれない。
日本人が月を見て感じることと
アメリカ人が月を見て感じることは
違うかもしれない。
土地柄や属性が違うならば、
「相手も同じものを見て、同じことを考えている」
とは思わないのかもしれません。
これは相手と話をすることで、
違いを認識しやすいでしょう。
しかしながら相手と自分は同じ場所で
似たような立場で同じものを見ている。
と信じてしまっていたとしたら・・・。
ちょっと困ったことが起こってしまいますね。
(次回に続けます)
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